一 正義の学の終焉  ―児島惟謙没後100年記念シンポジウム―

 昨(二〇〇八)年一〇月四日、関西大学に於いて開催された児島惟謙没後百年記念と冠したシンポジウムの記録が、二〇〇九年の四月末に発行された関西大学法学研究所『ノモス』第二三号に掲載された。
 この催しの内容は、東京大学名誉教授松尾浩也氏の思い付きを法制化したという、信じられないような制度である裁判員制度の「宣伝」である。小泉内閣時代の産物が、郵政民営化を推進した人物の企業へカンポの施設が払い下げられたり、雇用制度を壊した人物の企業がまっさきに人員整理をするなど、国民の生活や、社会そのものへの大きな混乱を引き起こしているが、その代表的なものが裁判員制度*1である。
 法学部のスタッフとして、法や制度についての考察することを職業とするのであれば、このような、みるからに胡散臭い制度を検討することは、先ず果たさなければならない職務上の義務であろう。
 このシンポジウムに五ヶ月先立つ五月一六日付けの『関西大学通信』第二五三号に、シンポジウムを企画し司会をしている法学部教授の吉田栄司氏が、「裁判員制度が動き出す!」という文を掲載している。この文のタイトルは良識ある人たちの批判の的ともなった株式会社電通が請負作成した裁判員制度の情宣ポスターをもじったものであることはあきらかである。この文の一部は、次のようなものである。


   憲法学者である筆者は、公判審理の短期集中開催、書面の簡素化と口頭の重視、あるいは遺族や被害者の法廷参加によって罪状を判定される被告人の立場にも、ほとんど拒否できずに出頭義務や評議義務、さらには職務を終えた後まで守秘義務を課される有権者の立場にも、なお、詰め直されるべき制度的問題点が憲法諸規定に照らして多く残されている、と考えている。が、それでもなお、このような制度の導入は、日本の民主制のあり方を、司馬遼太郎のいう「この国のかたち」を、より良きものにする可能性を大きく秘めてる、といえよう。


 この文を書いた「憲法学者」吉田栄司氏は、裁判員制度基本的人権に抵触することを認識している。吉田氏は、その人権と抵触するものが「この国のかたち」をより良きものにする可能性を大きく秘めている、と本当に考えているのだろうか。それとも、吉田氏は、人権というものを、単なる憲法規定にすぎないと考えているのだろうか。
 憲法学者であるとする吉田氏なら、一七七六年のアメリカ独立宣言が「……これらの権利を確保するために、人類の間に政府がつくられ……」と述べているのを、まさか知らないということはないだろう。国のかたちに合うように、人権が調えられるのはなく、人権を確保するための国だということは言うまでもないだろう。
 「国のかたち」のために人権を調えるなど、中高生でも納得できない話である。奇妙なことを言っている人物は、自分が無自覚なまま「国家主義」の一撃を受けている者である。
 尤も「この国のかたち」を言い出したのは、元司法制度審議会会長京大名誉教授佐藤幸治氏である。しかし吉田氏が「憲法学者である」なら、このような文を、提出された学生のレポートに見つけ次第、基本的人権に抵触することがあきらかな制度が民主制のあり方を良くするなどと言えるのか、と即座にコメントするだろう。
 種々の公害をはじめとして、国民が訴えている訴訟は、「クニ」あるいはクニの「かたち」をしたものに、国民あるいは住民が、ささやかなあるいはかけがえのない何かを奪われたことから起こされているのである。この大学の法学部では「国のかたち」の方が、具体的な人間の権利よりも先行するような講義がなされているのだろうか。
 この吉田氏の文のこのあとは、ほとんど陪審制について費やされている。児島惟謙は、陪審制について、なにがしかの言及はしたかも知れないが、特筆すべきことはない。また、裁判員制度は、陪審制というよりは、参審制であると、裁判員制度なるものは自分の思い付きであると仰る松尾浩也氏自身が仰っている。にも関わらず、どうして吉田栄司氏は陪審制についての言及を続けたのか、私には疑問であった。
 吉田氏が、裁判員制度に関する文にしては、場違いと思われる陪審制のことについて、多くを費やした理由を、私に分からせてくれたのは、今回のシンポジウムであった。今頃になって判るのは遅いのであるが、「ネタが判ってみると」と言った感である。もっとも決して、それは今まで隠されてきたというわけでないのである。それはあまりにもお粗末な論理なのである。かかる論理で、国民の人権が侵害され、負担が増加するとは、しかも、それが憲法学者の手によるものとは、なんと表現すべきものかと思う。
 私が遅まきながら理解したのは、佐藤幸治元司法制度改革審議会会長の理論的拠りどころが、三谷太一郎『政治制度としての陪審制』(東大出版、二〇〇一・九、同氏著『近代日本の司法権と政党―陪審制成立の政治史―』塙書房、一九八〇の増補版)であったということである。
 東京大学法学部教授として政治史を講義されてきた三谷太一郎氏の旧著は、大正末に成立し、昭和初期から始まった戦前陪審制成立史の研究として決定版ともいうべきものであった。
 今回のシンポジウムで、三谷氏は、とくにトクヴィルアメリカのデモクラシー』に言及されている。それは、トクヴィルが「政治制度として見た陪審制について」という一節を設けているからである。三谷氏は「トクヴィルによると、陪審制は何よりも政治制度である。陪審制を政治制度としてとらえるというとらえ方というのは、私(三谷氏)の知る限りでは恐らくトクヴィルが最初であったというふうに思うのでありますが、陪審制は何よりも政治制度なのである、陪審制は常にこの観点から判断されねばならないというのがトクヴィルの洞察であります。」(『ノモス』二三、八六頁。以下のシンポジウムでの発言引用箇所は、同様にページ数のみをあげる。)とし、そのトクヴィルに触発されたジョン=アユテュアート=ミルが「『自由論』において個々の市民に対する陪審制度の教育的な意味というものを強調」したとするのである。
 これを、このまま受け取ると、「政治制度としての陪審制」というのは、統治対象である人民をして、統治の一端を担うべく政治教育する制度として最適である、とトクヴィルやミルが言っているようである。佐藤幸治元会長の「統治者主体意識」の涵養論をトクヴィルやミルが言ってくれているようである。
 このことは、三谷氏の次の問題発言に関係してくる。少し長くなるが、引用してみる。


  私(三谷)は、裁判員制度はなぜ意味があるかというと、これはある弁護士の方から伺った話で、なるほどと思ったんですが、要するに法廷というのはごらんになった方はおわかりなんですけども、法廷と傍聴人席を隔てるバーというのがあります。やっぱりバーの内側と外側とでは全然違うんですよね。つまり、傍聴人席に座ってても、これは専門家の弁護士が言われたんですが、ある民事事件を担当していて、その依頼人が刑事事件に巻き込まれたときに、民事事件の資料を収集するために自分の依頼人の刑事事件の傍聴人席に座ってたんだけれども、結局バーの向こう側で何が行われているかというのは専門家の自分ですらわからない。だから全くの素人はバーの向こう側に行かなきゃ、裁判がどういうものかは、まずわからない。私はそれは重要なことなんで、単なる傍聴人にとどまるのと、バーの向こう側の裁判員になるのとは質的に、違うことだというふうに思う。私はやはり傍聴人ではなくて、裁判員になるということの意味は非常に大きいと思います。(一一五頁)

 この発言は、三谷氏の、このときの単なる思い付きではなく、持論であろうが、ご自身の発言が、如何なる意味をもつのか、お分かりでないようである。しかし、これは三谷氏に限ったことではなく、むしろ、元司法制度改革審議会会長佐藤氏、関大法学部教授の吉田氏もよりどころとする見解である。
 刑事裁判において、刑事被告人は、無罪の推定をうけている筈なのである。自らの人権が非常に危うい状態である被告人の問題が、一切無いのはどういうわけか。適正な手続を経て、正当な判断が下され、正義を実現する場である筈が、そのような被告人を、政治教育の素材として扱い、裁判を政治教育の場として貶めているということ、人を政治的教材として使用し、人の尊厳を傷つけているという最低の倫理規範が、ここでは欠如しているのである。恐ろしいことに、そのことについて、その後もなんの自省もない。
 三谷氏は、なおも、次のように続けている。

  そうなると、結局は日本のマスコミの裁判に対する受けとめ方も全然違ってくる。つまり裁判員、バーの向こうに一般市民である裁判員がいて、それで法廷の実務に携わることによってマスコミの対応も違ってくるし、いわゆる世論というものもちがってくると私は思います。だから、裁判員制度を規定した法律では一般選挙人名簿から無作為抽出ということになるのですが、選挙で投票するというのと、裁判員になるとい  うのは事に対する質的なかかわり方の違いがあると思うんです。デモクラシーにもいろいろな質のちがいがある。日本のデモクラシーはやっぱり質の高いデモクラシーにならなくちゃならないというふうに思うんです。要するに、単なる一般選挙民ではなくて、私は能動的市民という言葉を使うんですが、能動的市民が主役となるデモクラシーでなくてはならない。(一一五‐六頁) 


 刑事被告人の人権についての一切の顧慮もなく、無作為抽出した人物を能動的市民*2へと教育*3仕上げる、なんというデモクラシーであるか。裁判は、やはり理念としては正義の場であった。しかし、その裁判を語っている筈であるのに、そのような正義については一顧だに為されない。正義は、一般的な正義ではなく、裁判手続の中で実現されるべく、長い歴史過程の中で作りあげられてきたものである。それが法学でもある。法学は正義の学であった筈である。
 そのような正義の学が、微塵に粉砕される局面を眼前にしたようなのが、「正義を権力より守れ」をキャッチフレーズとする児島惟謙を記念したシンポジウムであったことは、皮肉であった。
 以下、このような悲惨な言論の中心となっている三谷氏の見解を、その材料とされるトクヴィルや戦前の陪審制の研究から見ていくことにする。憲法学において、具体的な人権よりも「国のかたち」を先行する佐藤幸治氏や吉田栄司氏の見解に、日本の法学・憲法学の歴史と現状があるようである。このような見解については、批判の対象云々以上に、かかる認識の方々が、憲法を講義したり、制度をいじっている現状に危機感を募らさざるを得ないのである。
 現在、既に裁判員裁判は行われている。これが、モデルの一つにあげる陪審裁判なら、実際に開かれている裁判員裁判のほとんどは、陪審裁判としては開かれてはいない。ほとんどの被告は有罪であることを否定していないから、陪審裁判にかかりようがないのである。有罪を認めている刑事被告人を、目の前にして、(いかなるものかわ分からないが)感情豊かな市民に、量刑を議論させるなどという裁判員裁判というものは、いかなるものなのか、本稿ではあまり問わない。ここでは、日本の司法を無残な姿にした人たちの論拠の危うさを問題にしたのである。


1 蘆田「裁判員制度とは何か。―日本国憲法上の裁判制度は『裁判を受ける者』のためのものではなかったのか―」(二〇〇八年八月成稿、甲南女子中学・高等学校『研究紀要』第三〇号、二〇〇九年六月発行)
2 三谷氏は、上記の引用のあと「アクティブ・デモスですね、アクティブ・デモスが裁判員にならなくちゃならない、そうでないとなかなか司法制度自身がよくならないし、日本のデモクラシーの質も高まらないというふうに思っているわけです。」と続ける。二〇〇五年九月に行われた、小泉首相(当時)のパフォーマンスと翼賛マスコミの合作で国政を破壊することになった異様な選挙こそ、まさにアクティブ・デモスによるものであろう。
 この選挙に関して、東大で三谷氏の薫陶も受けている御厨貴氏は「選挙というものの深さと面白さを国民が知ってしまったいう意味で、すごくいい選挙だったかなというのが私の感想です。」(毎日新聞二〇〇五年九月一四日「二〇〇五衆院選をふり返って」)と述べる。
 その後、多くの禍根を遺す制度壊しや、危機を深化する立法がなされることになった。三谷氏の言う、アクティブ・デモスは、ヒットラーナチスを支えた熱狂的民衆とどこが違うのか。それと政治制度の問題、これこそが三谷太一郎氏や御厨貴氏が果たされるべき政治学上の責務ではないか。というのは、ドイツ・アメリカでは、「街頭の人気者」が、政治的惨苦を、内外の人々にもたらした痛苦の経験から、「街頭の人気者」のストレートな政治登場に対しての、防御装置を施していることを認識することも、政治学徒としての最低の責務であると思う。
 それよりも、「能動的市民」という言葉は、フランス革命期、一七九一年九月三日の憲法第3編第1章第2条で、3労働日の価格の直接税を支払ったことを制限選挙下の選挙人資格の要件にされた、その特権身分である’citoyen actif’「能動市民」が、もとになる言葉であることは確かである。その「シトワイヤン・アクテーフ」を言わずに、ギリシア起源かと思わせぶりに「アクティブ・デモス」など、言葉・概念の意図的ともとれる誤魔化しではないか。このような誤用か誤魔化しが、「大学」あるいは、「法学研究」を標榜されたことに、何のコメントも無いのは疑問である。そして、かかる一時期的存在である「能動市民」は、普通選挙に埋もれることになる。
 尤も、カントは、「それだから公民的状態を、法的状態としてのみ考察すれば、この状態の根拠をなすものは次に掲げる三個のア・プリオリな原理である。」とし、「1社会の各成員の、人間としての自由。2各成員の他の各成員とのあいだの、国民としての平等。3公共体の各成員の公民としての独立。」をあげている。(カント「理論と実践」第2章「国内法における理論と実践との関係について〈ホッブスに対する反論〉【岩波文庫『啓蒙とは何か』一四二頁】)。しかし、この公民〈citoyen〉は、ア・プリオリな原理だとする。教育目標ではない。まして、本来目的である人格(被告)を、利用して育成されるようなものではない。三谷氏が、カントの叙述を意識して、つまり、その理念を志向して「能動的市民」になるため、と考えられたのなら、それも一つの考えかと思ってしまう人もいるであろう。しかし、その「能動的市民」になるために、生身の「人格」を「利用」するとは、カントを持ち出すまでもなく、賤しいことである。そのような、人格をいわば嬲るようなことをして、「能動的市民」など形成されるなどということがあると、本当にお考えなのだろうか。
3この刑事被告人を教材として、統治客体に統治主体意識を持たせるとなどという欺瞞ロジックについては、蘆田前掲「裁判員制度とは何か」で述べているが、その「教育的」観点については、検察審査会に関して述べられた利谷信義「検察審査会と国民の法意識」(戒能通孝還暦記念『日本の裁判』日本評論社、一九六八年)にも既にみることができる。「……検察審査会の経験は、主権者意識を育て、社会的・政治的問題への関心を呼びさます。……」(二七一頁。)また利谷氏論文には、今まで問題にならなかったのが不思議なのであるが、検察の活動と裁判の混同がある。そして、佐藤幸治氏をはじめとする、裁判員制度を推進するメンバーの論理が、この検察審査会をめぐる論理なのである。私は検察の活動をチェックする制度の存在を否定するものではないが、司法活動と混同されてはならない。さらに、その実際の活動が、検察官が、起訴しなかったことの当・不当をチェックすることで、証人などを「取り調べ」ている。検察審査会は、不当に嫌疑をかけられた人を救済する機関ではなく、検察をチェックするというよりは、起訴されなかった者を取り調べる役人の補助機関なのである。それどころか、検察審査会の権限を強化することによって、刑事訴訟の歴史が、克服しようとしてきた「報復感情」を、今、復興しようとしているかのようである。
 実施された裁判員制度でも、被告人の人権は一切問題にならず、「一般人裁判員」が「取り調べた」ことをニュースとしている。検察審査会の危うさを「法廷」へそっくり移動させた模様であるが、戦後日本の法学の歴史も点検せざるをえないようである。