2009-12-01から1ヶ月間の記事一覧

傑作 四方田犬彦『先生とわたし』の「すべてデタラメ」 -ペテロでもなく、ユダでもなく-

四方田犬彦『先生とわたし』(新潮社 2007)は、確かに傑作だと思った。由良君美という東大名誉教授である以上に希代の教養人で、例えば脱領域・脱構築という日本語をつくり具現化したように、日本の「文化」を底上げした人物を描いた評伝でもあり、しかし、…

アカデミック ブローカー事情2 小松秀樹著『医療崩壊 ―立ち去り型サボタージュとは何か』(朝日新聞社2006)に見られるもの

「医療崩壊」という深刻な状況が他人事ではなくっていた2008年のはじめに、ある病院長に、「法律的には、医者の医療行為による患者の死も、暴力団の殺傷行為も結果違法ということで同じだそうですね。」と言われた。「結果責任」ではない「結果違法」などと…

アカデミック ブローカー

かつて、高名な文化人類学者が、これまた高名な神話学者を指して、「神話ブローカー」と称したために、疎遠になったことを聞いたことがある。そうはあってはならないのだが、比較何学と称されるものの多くが、それらの条件を、とくに顧慮することなく、並列…

 五 基本的人権と日本国憲法

呆れるほどの拙劣な論理が、大手を振ってまかりとおっていると言わざるを得ない。司法に対する参加は国民の権利だと言う。アメリカ憲法修正第六条では、陪審裁判をうけるのは、刑事被告人の権利として規定している。国民が参加する権利ではない。 吉田栄司氏…

 四 司法と規制緩和 ―「司法権の独立」は、専門法曹のためのイデオロギーか

三谷氏は、市場経済論者であるミルトン・フリードマンが「市場経済論者としての立場から、司法改革に対する非情に大きな関心を持ったということが言えるんだろうと思います。」とし、「日本の経済界のリーダーの人たちもある程度やっぱり司法改革というのは…

  (2)明治憲法下の「統帥権の独立」と「司法権の独立」

三谷氏は、「司法権の独立」という言葉がもつ理念イメージを払拭するために、「統帥権の独立」という軍部の専横を象徴する言葉で類推させる。 確かに、双方とも簡単に踏み込めない、逆の意味ではあるが聖域かの印象を持つ言葉である。そして、双方ともに、も…

  (1)「司法権の政治的台頭」とは何か

「日糖事件といわれるのは」三谷氏の叙述によると「当時の大日本製糖株式会社が台湾製糖業に対抗して、内地製糖業に対する保護政策的意味をもつ輸入砂糖戻税法(原料砂糖輸入関税の一部を製糖業者に変換する趣旨で明治三五年法律第三三号として成立し、明治…

 三 大正期成立陪審制は、「司法権の独立」というイデオロギーを廃するためのものであったという三谷氏の主張

明治憲法下の大正一二(一九二三)年に陪審法が公布され、昭和三(一九二八)年一〇月から施行された。 三谷氏は「彼(原敬)はそのための(検察主導の司法部を包摂するための)政治的手段として、陪審制を導入して行く、それを政党政治のサブシステムにする…

(2)トクヴィルの「政治制度としての陪審制」は、刑事陪審ではなく「民事」陪審*1

三谷氏は、「トクヴィルによりますと、陪審制は民主主義的統治の一貫である。人民主権の一形態である。したがって、その陪審制というのは単に訴訟の運命に影響を及ぼす以上に、社会自身の運命に影響を及ぼすというふうなことをトクヴィルは言っているわけで…

 (1)J・S・ミルが、トクヴィルより受け継いだものは「多数の暴政」批判

シンポジウムでの三谷氏や佐藤氏のトクヴィルに言及した発言は、論理的でもなく整然ともしていない。錯乱にちかい混乱がみられる。三谷氏は、「こうしてトクヴィルは、陪審制が、一方で民主制の本質的部分を体現しているということを認めるわけでありますが…

二 三谷太一郎氏と、トクヴィル、J・S・ミル

以下、トクヴィル、ミルの引用がやや長くなる。三谷氏が、自らの陪審制論にトクヴィルの名を援用し、それに佐藤氏が追随されているからである。

一 正義の学の終焉  ―児島惟謙没後100年記念シンポジウム―

昨(二〇〇八)年一〇月四日、関西大学に於いて開催された児島惟謙没後百年記念と冠したシンポジウムの記録が、二〇〇九年の四月末に発行された関西大学法学研究所『ノモス』第二三号に掲載された。 この催しの内容は、東京大学名誉教授松尾浩也氏の思い付き…

「正義の学」の終焉 ―関西大学法学研究所児島惟謙没後100年記念シンポジウム(『ノモス』23)批判

四方田犬彦『ハイスクール1968』から、すが秀実『1968年』小熊英二の仕事をチェックしながら、関西大学の1969年を、追う予定であった。先に、関西大学では、大学の機関が、全共闘の綿密な記録を発行していると、書いた。しかし、それは少し勇み足で、もっと…