「正義の学」の終焉 ―関西大学法学研究所児島惟謙没後100年記念シンポジウム(『ノモス』23)批判

  四方田犬彦『ハイスクール1968』から、すが秀実『1968年』小熊英二の仕事をチェックしながら、関西大学の1969年を、追う予定であった。先に、関西大学では、大学の機関が、全共闘の綿密な記録を発行していると、書いた。しかし、それは少し勇み足で、もっと広く目配りされた編集になっている。というのは、丹念に、例えば、民族派日本学生同盟(日学同)のビラまで収集編集され、後に東京都副知事として活躍する浜渦某の業績も遺されていて得難い資料集になっている。
 1969年7月5日未明、全共闘によって封鎖中の関西大学会館に大阪府警機動隊が入った。全共闘は逮捕を避けて、2名の逮捕者以外は退去し、改めて、再占拠の構えに入った。機動隊の出動を容認した関西大学学長中谷敬寿(法学部教授・憲法)に対して、法学部教授会は、7日朝、不信任決議文を送付した。8日には文学部教授会もそれに倣うことになった。さらには、経・商学部教授会も学長不信任の態度を表明した。
 このようなこと思いだしたのは、甲南女子中学高校講師の蘆田東一「『正義の学』の終焉」掲載要請があったからである。
 この文には、かつて、学長の不当な機動隊の導入容認に、真っ先に、抗議の不信任決議した関西大学法学部が、いまや、あきれるばかりの杜撰な裁判員裁判の推進拠点になっていること、それに法学部の現スタッフが、学問的にも全く正視できないような状態にあることが述べてあった。そのプライド高かった法学部教授会のかつての成員であった元教授から「沈みゆく泥船から、脱出したような気分だ」との感想をもらったことがあるのは、このことかと思った
 一読して、関大で開かれたそのシンポジウムの拙劣さ、幼稚さは、およそ、学問・研究とは言えないものであった。このような劣悪な内容で、国の制度が作られるとは、恐ろしいことであると思った。「教育」など思いもよらないものである。
 これはブログで、機関雑誌ではない。しかるべき発表する手段はないのかと、執筆者に言うと、全くないということである。シンポジウムの内容は、法学研究所の機関誌『ノモス』№23に掲載され、インターネットで配信され、恥は全国に行きわたるというわけである。全国と言ったのは、日本語によるものだということにすぎない。「『正義の学』の終焉」執筆者は、批判的対話を法学研究所に試みたが、それに対応する能力が、関西大学法学研究所には、もはやというか、もともと無いようで、全くの無反応だったようである。仕方なく、体裁も良くなく、読み辛いが、以下に掲載する次第である。



「正義の学」の終焉 
  関西大学法学研究所児島惟謙没後100年記念シンポジウム('08・10・4)
「いま裁判員制度が日本に導入される意義 ―児島惟謙の思想的源流を探りつつ― 」 関西大学法学研究所『ノモス』第二三号)  ― に見る学問的危機の様相        蘆田東一

目次
 正義の学の終焉 ―関西大学法学研究所児島惟謙没後100年記念シンポジウム
 三谷太一郎氏とトクヴィル、J・S・ミル
  (1)J・S・ミルがトクヴィルより受け継いだものは「多数の暴政」批判
  (2)トクヴィルの「政治制度としての陪審制」は、刑事陪審ではなく「民事」陪審
 大正期成立陪審制は、「司法権の独立」というイデオロギーを廃するためのものであったという三谷氏の主張 
    (1)「司法権の政治的台頭」とは何か
    (2)明治憲法下の「統帥権の独立」と「司法権の独立」
四 司法と規制緩和 ―「司法権の独立」は専門法曹のためのイデオロギーか―
五 基本的人権日本国憲法