徴兵制検討



 2010年3月4日、自民党憲法改正推進本部(本部長保利耕輔元文相)が公表した論点整理の「国民の権利及び義務」の項目で、「ドイツをはじめ多くの国では、憲法で、国民の兵役義務や、良心的事由に基づいてこれを拒否する者の代替役務等が定められている」と指摘したうえで、「民主主義国家における兵役義務の意味や軍隊と国民との関係などについて、されに詰めた検討を行う必要がある」と提起しているそうである。これが「徴兵制検討」と報道されたことで大島理森幹事長が、急きょ談話で「わが党が徴兵制を検討することはない」と否定したそうである(毎日新聞大阪版5日朝刊第5面)。
 大島は、状況判断して慌てて否定しているが、提起した方は、決して思い付きではない。先ず、この紹介箇所に「民主主義国家における兵役義務の意味や軍隊と国民の関係」とある。この箇所をみて、先に蘆田東一が裁判員制度について書いた文を思い出した。その文では、関大法学部で憲法専攻だとする教授の発言を紹介していた。その憲法の教授は、戦後の憲法制定時の、松本委員会において、「旧憲法の兵役の義務規定」を、「陪審員就任義務を前提にして残すべきだとの論議がなされていたということを、まずは指摘したいと思います。」といった言い方をしていた。そのときは、憲法の教授が、しかも9条の会などの代表をするような教授が、ここで陪審員就任「義務」としてあるのを、「司法への国民参加」と言っているという蘆田の指摘に愕然とした覚えがある。だから、今回、「民主主義国家における兵役義務」と来たら、先の陪審員就任義務を、国民が司法に参加する権利の如く称揚している口吻を想起したものである。
 裁判員になって、偉くなったつもりで、有罪を認めている被告を糾弾している思い上がった
人の報道があったが、その前に、検察審査会に加えられて、はまっている人たちも多いという。
 そのラインでいけば、国民の戦争への「参加」は、それほど唐突ではない、ただ、状況がよくないだけ、ということになる。しかし、状況はそれほど「悪く」ないのか、とも思う。

ポイントは、もう一つある。「提起」は、ドイツなどの、兵役を拒否した者に対する代替役務を挙げている。これは、いわゆるボランティアである。そこで、思い出す人も少なくないと思うのが、小泉が提案した、大学入学を秋にして、その前の6ヶ月間にボランティア義務を課すというものである。ボランティアが義務とは矛盾であるが、今回の自民党憲法改正推進本部の提起は、決して唐突ではないのである。
 この「ボランティア」とヒットラーナチスの政策の密接なことは、池田浩士教授が夙に説かれるところである。

 大島は、状況をみて否定したが、小泉に、自衛隊イラク派遣を「国際貢献」だと言わせたりするような右翼的知識人の活動は、上質ではないが、着実である。愚劣というより、国恥ともいうべき「裁判員裁判」など、裁判批判を逆手にとったものである。戦後の裁判制度を忠実に遂行すべきだということが、いつのまにか、戦後の裁判制度が悪いということになってしまっているのである。
 いま、進行していることは、世界史的に構築されてきた裁判制度を壊してばかりで、しかもその自覚がないのである。
 この状況の悪さの一因は、しかし小さくない原因は、制度や裁判官・検察官よりは弁護士にないか、とも思う。冤罪事件では、検察官・裁判官を糾弾するが、弁護士の活動、あるいは、弁護士会も含めた、救援活動の検証はどうなっているのかと思う。
 最近、時効制度についての議論がある。殺人については撤廃するという。流石に、日弁連の代表が、反対の意思表示をしていた。ただ気になったのは、古い事件では、証明が困難になるのだが、弁護士が言うには、無罪の証明が困難になるから、冤罪が増える問題を言っていた。これはインタビューの編集が悪いのかも知れない。テレビ報道をみる限り、被告人に証明責任があるように言っているように聞こえた。趣旨としては、古い事件で起訴された場合、防衛のしようがないということではあると思う。ただ、そのことを弁護士会がきちんと誤解がないように、合理的に論じることができない状況があるのではないか。
 裁判員裁判など、罪を認めた被告はいたずらに、被告にはどれほどのものか判らない素人裁判員の前に曝されているので、それ自体、人権が侵害侵害され続けているということに、つまり、目の前で、人権の侵害状況が展開されているのだろう。弁護士会というのは、人権に対して何と鈍感な団体なのかと思う。
 ほとんどの事件について、無罪の主張はないように見えるが、もし争った場合、弁護人は、素人裁判員の「市民感情」に訴えるつもりだったのだろうか。裁判員制度のうたい文句の一つが、「市民感覚を法廷へ」だったら、そうなるが、そんなバカな話に弁護士会は何を言っていたのだろう。
 陪審制なら、判事の説示があって、それに従って、検察官の主張が証明されたかどうかを判断するだけで、しかも陪審を要求するのは被告の権利で、「国民の陪審参加権」などあるわけはないのだが。
 そういう、いわば「知的真空状態」に、自民党憲法改正推進本部は、推進しようとしたところを、大島は、今は、野党なのだからと状況判断したということである。
 しかし、真空状態は、続いている。