頑張れ!鳥越俊太郎!!   いい加減にしろ!!三反園!

 
 本日(2011年3月3日)テレ朝系の午前の番組では、故三木武夫の夫人のインタビュー映像を流していました。またまた、三反園とかいうテレ朝放送記者の甲高い声が聞こえてきました。田中角栄の事件をやっていたが、この時期に、あきらかに小沢を狙ったものでしょう。鳥越の憮然とした顔が見えましたが、不愉快なテレビは消しました。
 去年(2010)秋、一ジャーナリスト鳥越俊太郎に、朝日新聞の論説が名指しで絡むということがありました。鳥越が引用する朝日新聞の論説もひどいものですが、テレ朝の三反園とかいう放送記者もひどいものです。甲高い声で、人々のエゴを煽る調子は、ファシズムの片棒担ぎを連想します。状況をみて政治家の提灯をもったり、とにかく受け狙いの営業ぶりが鼻につきます。満州事変に際して、当時の朝日新聞は全面的に軍部に迎合して、新聞の売り上げ増を図ったそうです。
 三反園の「永田町なんとか」というコーナーなど、たいした年齢でもないのに、政治業界通ぶっています。きちんとした論評もできずに、訳知りのように政治家の代弁をして、人々の歓心を買おうとするのは、満州事変の迎合朝日にかなり近くなっているのではありませんか。大阪府知事の橋下を批判できない「朝日」もそうです。(尤も、最近の「朝日」がおかしいのは、もっと深刻な理由があるのかもしれません。批判できないのは、最近の「朝日」のジャーナリズムとしてのアビリティそのものに問題があるのかも知れません。違っていたら、良いのですが。「朝日」の危機は本格的ではないかと心配です。)
先日(2011年2月27日)のNHKテレビ番組「太平洋戦争70年 なぜ戦争へと向かったのか」の放映分でも少しはみたらどうかと思います。
 去年9月の毎日新聞の鳥越のコラムというのは、次のようなものでした。このことについては、札幌弁護士会の「弁護士猪野亨のブログ 日々のあれこれ」などにも言及があります。

その朝日新聞の9月19日付朝刊の社説で私が実名入りで批判の俎上(そじょう)にのせられているのもちょっとした驚きでした。政治家や団体の責任者など公的立場の人間ではなく、メディア関係者とはいえ一民間人の私の名前を取り上げるのは社説の中では異例です。まあ察するに、私が当コラムで取り上げた朝日新聞の社説「あいた口がふさがらない」についてのカラシがちょっと効きすぎたのか、社説子にはお気に召さなかったんでしょうね。
 社説の関係部分を引用します。
「市民の力を信じる−−。
 ごく当たり前の話なのに、それを軽んずる姿勢が、社会的立場の高い人の言動に垣間見えることがある。
 裁判員と同じく一般の市民がかかわる検察審査会制度について、小沢一郎氏が『素人がいいとか悪いとかいう仕組みがいいのか』と述べたのは記憶に新しい。ジャーナリストの鳥越俊太郎氏は新聞のコラムで『“市民目線”と持ち上げられてはいるが、しょせん素人の集団』と書いた」
 私は市民の力を信じてはいない。
 市民、世論、民衆、大衆−−こうした存在こそ、実は一番恐ろしいと思っています。日本という国は“世論”という名の下に、一方向にぶれやすい“文化”を抱え込んでいます。その最たるものが、「一億総火の玉」で突き進んだ日中戦争から太平洋戦争に至るプロセスです。
 検察審査会といえども「市民の力」という言葉だけで信じるわけにはいかないのです。正しい市民もいれば、間違いを犯す市民もいる。それをチェックするのが私たちメディアの仕事なのですから

 NHKの「太平洋戦争70年 なぜ戦争へと向かったのか」は、国を破滅に導く過程を問題にしています。前回の放送では、メディアの果たした役割を描いていました。テレビ番組であるので、どうしても、深く抉るには、もの足りないでしょう。しかし、三反園とか辛ぼう?とかいうテレビ系政治に巣くう人たちには、自分の鏡をみるように是非見て欲しいものです。