裁判員裁判の一審判決、控訴審で破棄 ― 販売部数が欲しい「朝日」「毎日」の市民様、煽て殺し

 2011年3月29日に東京高裁で、一審東京地裁裁判員裁判で放火について無罪となった控訴審判決があり、裁判員裁判の無罪判決を破棄、差し戻しの判決があった。
 30日の東京高裁では、一審千葉地裁裁判員裁判覚醒剤取締法違反被告事件で無罪なった事件について、原審の無罪判決を破棄し、懲役10年罰金600万円の判決を言い渡した。弁護側は、市民の常識を尊重する制度の意義を損なう判決だとして、即日上告したということである。
 毎日新聞は、解説で、「『市民判断』への配慮に触れず」と述べている。
 弁護側の上告理由が、このとおり、すなわち、「市民の常識を尊重する制度の意義を損なうもの」ということであるなら、お粗末としか言いようがない。判決は、有罪たり得る証拠・論拠をあげているのである。一審では、それを誤ったと言っていると、控訴審判決では述べているのである。
 日本の崩壊状態の司法・法曹の惨状がある。
 惨状を呈しているのは、司法・法曹だけではない。ジャーナリズムもまけてはいない。「『市民判断』への配慮に触れず」とは、ちょっと変な言い方だが、要するに、市民判断に配慮せよ、と言うことなのだろう。これは、毎日の記事なのだが、こういう論調は、朝日などもっとひどい。市民判断が、どれほどのものか、新聞社の人間が知らないわけでもないだろう。
 また、新聞が、どれほど「市民感情」を煽ってきたか、自覚もないのかと思う。太平洋戦争への過程もさることながら、今もって、市民のエゴを煽ることをやめない。
 津波のこと、原発事故のこと、それは、心ある人々によって、言われ続けてきたことではないか。朝日・毎日は、タレント政治家やタレント知事・候補の人気に便乗するようなことばかり書いていたという自責はないのか。
 未だに「市民」様に阿っている。まさに、「市民様」で、「市民様」「市民様」と最後に褒め殺しか、煽て殺しだろう。