スポーツ・ライター…玉木正之・渡辺直己・二宮清純

 東日本大震災の発生とそれに伴う原発事故の終息のみとおしが立たない今、スポーツを自らの生業としている人たちは、とくに苦しい時期だと思う。スポーツは、一面、軍事訓練のゲーム化としてあり得たものだとしても、遊びであり、余暇であってこそ成り立つものだからである。しかし、生業としてある以上、そのための技術、体力の錬磨、興業は欠かせない。
 スポーツ・ライターと自ら名乗ったのは、玉木が始めてだとか。また、渡辺は、どちらかといえば、文芸に関する文章が本業のつもりなのだろう。要するに、スポーツ・ライターとは、スポーツに関する文章を書いて、その需要に応えている人たちであるが、評論家(あるいは、競技などで、解説者として登場する人たち)とは、少し違う。この人たちも、スポーツに関する文を当然書くが、ライターとは言わない。
 厳密な区別は、当然に無い。評論家、あるいは解説する人たちは、主として競技展開や技術を問題にするのに対して、ライターの仕事は、文章表現である。だから、競技展開や技術も問題にするが、いろんなことを言う。ライターは、評論家の表現の稚拙さや教養を嗤い、評論家は、ライターの不躾さを怒る。
 正直に言って、私は、玉木も渡辺も二宮も嫌いである。不愉快でもある。玉木など、プロ野球の歴史に対する造詣も深く、プロ野球選手たちの代弁人であるかのような発言もし、選手たちとの交流もあるのかも知れないが(私は事実は知らない)、私は、不快感をもつ。理由は、玉木が、蓮見重彦(草野進)を批判して「『高見』の論説に感じた居心地の悪さ」(2004年4月20日産経新聞・総合学芸欄)と書いたのとほぼ同趣旨である。玉木を見ていると、ローマの剣奴の死闘を眺めている飽食富裕市民を想像してしまうのである。玉木が高校時代はバドミントンの選手だったとはとても想像できない。
 2004年、プロ野球選手会の二度目のストライキ回避について玉木がインタビューをうけ「1000分の1も解決していない」と答えるVTRを「サンデーモーニング」で見た大沢啓二が、「野球を知らない奴が何をいうか、玉木の野郎呼んでこい!」と怒ったことがあるらしい。玉木正之のHP「タマキのナンヤラカンヤラ」バックナンバー 2004年9月に、玉木に謝罪をしたTBSの関係者に玉木は、「スーパーモーニングに自分を呼んでくれと言ったが、実現しなかったとある。玉木は、大沢を素朴な経験主義者と罵るが、「1000分の1も解決していない」という玉木は、プロ野球選手会が組織的に動き、球団経営者を相手に交渉できたという決定的な変化が判らないようである。玉木たちは、スポーツについて文を書いたり発言して報酬を得ている。基本的に、選手やゲームを、私物のようにして商売しているオーナーたちと、「高見」から、実のない発言をして報酬を得ている玉木とは、どれほどの違いがあるのか。というより、他人の芸の上面を撫でて生業とするのは、いわば、散々蔑まれた芸能レポーターのようなものだろう。芸能レポーターは、その境遇に自覚はあるが、玉木など(二宮・渡辺も)は、いかにも「高見」から言っている。その「高見」に、大沢が怒ったということが判らないようでは、玉木の「ライター」としての資質は危ない。
 玉木が、大沢を素朴な経験主義と難じて、歴史を語るのなら、技量、人気ともに、学生野球を圧倒できなかった日本の職業野球の事情も少しは知っているのだろう。アメリカの大リーグの機構のことを言うのなら、日本のプロ野球の経営にメディアが大ぴらに絡む異様さも知っているだろう。「ライター」なら、この事情をきちんと書くべきだ。そして、そのような状況下で、選手会が自らの存在を主張した思いを伝えるべきで、物書きとしての責務を果たさず、偉そうに「1000分の1も解決していない」など言うな。スポーツ界に寄生する文章芸人なら、当初、選手会として、同一歩調をとらなかったのは、読売球団の選手ではなく、ヤクルトの選手会だったことくらい覚えているだろう。
 当時、大洋ホエールズの監督だった近藤貞雄?が、ヤクルトの選手に「下手くそ!」と罵倒したことも知っているだろう。
 勿論、サッカーJリーグの設立については、日本プロ野球の現状は、大きなネガティブな参考資料であったことは、折に触れ書かれていることである。玉木は、気楽に偉そうに、プロ野球機構のことを書くが、軽薄で頓珍漢である。どうして星野がコミッショナーなんだ。
 玉木・渡辺・二宮といった「ライター」を嫌いな理由は、プロレスのうるさいアナウンサーとしてブレイクした古館の役割と似ているからである。古館の登場は、衰退期のプロレスにとっては救世主だった。
 しかし、勘違いした、放送局やアナウンサーが、一般のスポーツ放送に、あのうるさいのを導入したため、日本のスポーツ実況は、ほぼ壊滅的になってしまった。もちろん、それに悪のりしたために、個人的に沈んだ人もいる。確か、オリンピックのマラソンでうるさい実況をやって不興を買った不運というか、あまり賢くなかった女性アナウンサーの宮嶋である。
 これは、古館旋風に巻き込まれた悲劇の一例である。日本のスポーツ放送の多くが、古館亜流の耳障りなものになっている。日本のスポーツ実況放送の惨状がある。
 さらに問題は、古館が、スポーツでないニュース番組でも、それをやっていることである。
 渡辺直己は、いまはない『朝日ジャーナル』で、図に乗って、瀬古や増田を不愉快な表現で揶揄していた。もちろん、私は、瀬古よりは宗兄弟のレースや話が楽しみだったし、深尾真美の走る姿を見てレース後のインタビューを聞くのも楽しみだったので、渡辺の揶揄そのものには、笑ってすませたが、増田明美のその後の試練や成長・活躍は、感激するものがある。渡辺が、増田のことで何を言っていたかは、覚えているが、それはとても低俗で口に出せない。
 二宮清純の活躍は、目に付くが、いつだったか、「高橋尚子さんの走りは、他と全く違いますね。バタバタとなぎ倒していくという感じですね。」とテレビ番組でコメントしているのを聞いたときには、しらけてしまった。高橋尚子が印象的だったのは、1998年バンコクで開かれたアジア大会のマラソンを実況放送で観たときだった。ゴール時気温32度、湿度90%の条件下で2時間21分47秒の記録だった。表情もよかったが、記録も凄いと思った。しかし、何年か経った後の、二宮の表現は、やはり拙劣だ。
 玉木は、イチローの魅力は守備で、イチローの打撃には魅力が無い、と書いていた。これは、スポーツ・ライターの言ではない。長島茂雄を有名にしたのは、立教の4年生の秋、最終戦で通算8号本塁打の新記録を放ち優勝したときである。しかし、誰の文章か、記憶していないが、無名だった長島が、始めて神宮に登場したときのことを語っていた。ピンチヒッターとして登場した新人は、内野ゴロを打ったらしい、その新人は、ダーとファースト・ベースを駆け抜けていった。勿論アウトだったのだが、観客はオーと反応し、何か、新しいもの現れたと感じたそうである。それが長島茂雄だった。凡打でも走るだけで、人は感銘を受けることがある。
 長島の醒めるような長打でもなく、耳当てのないヘルメットをすっ飛ばすような空振りでもなく、あのピッチャーズ・マウンドの後ろまで行くかと思うようなランニング・スローだけでなく、晩年の凡打でファースト・ベースまで、もがくように走る長島を、詩人のねじめ正一も見ていた筈である。
 NHKテレビで「長島様は神様です。」とか題した、ねじめと長島が対談する番組があった。ねじめが、長島に、(一茂に)一塁まで、しっかり走るように言って下さい、と注文していた。
 1993年、無名選手だったオリックスの8番の鋭い打球は、グリーン・スタジアム神戸の観客を驚かせた。「鈴木」という名前を観客は記憶した。
 それより前、オリックスの2軍の練習を見にいったものが、他と異なるひときわ高い、打球音を出している童顔の選手に注目していた。2軍といっても、社会人で活躍してもめったに採用されないプロの選手たちである。いわば怪物揃いである。そのなかで、ぬきんでたスピードのバットスイングで、高い打球音を出しているのである。
 神戸スタジアムは、観客が増えた。イチローが守備位置までかけていくのを見るだけでわくわくするのである。試合前の練習では、田口荘らと100メートルキャッチボールがはじまった。
 「イチローの売り物は守備だ」などと言う玉木正之の球場での楽しみは、ビールと弁当なのかい?本当に「スポーツ・ライター」なのかい?スポーツを題材に美事な文を書く人としては、虫明亜呂無という人がいた。(おっ!玉木が編集した虫明亜呂無の本があるそうじゃないか。)虫明亜呂無は、本当にスポーツを愛した人だったな。
 玉木のことを、ジャーナリストと書いてあるのがあった。ジャーナリストといってもいろいろいるから、玉木など、自分はましな方だと思っているだろう。しかし、「スポーツ・ライター」という自称も、このままでは、侮蔑を含んで呼ばれた「芸能レポーター」と変わらぬものになりかねない。古館が、スポーツ実況を、壊してしまったように、スポーツの世界の足を引っ張って頂かぬように願うばかりである。