去年の非常に不愉快な出来事の一つ、『週刊朝日』(2012.10.26)緊急連載「ハシシタ・奴の本性」(佐野眞一)

一 佐野眞一の卑しい記事
 去年(2012)は、暮れに、少し前なら思いも寄らなかった安部晋三の成立という災厄を被った。正月から生活物資の値上がりがしているように思ってしまう。
 佐野眞一のとんでもないこの記事が掲載された『週刊朝日』の日付が10月26日であるから、もっと早く反応しなければならなかったのが、もう既に「去年の話」になってしまった。その後、話題が総選挙になる過程で、連載は中止になり、編集長は更迭、『週刊朝日』の社長は辞任した。どうして、『週刊朝日』を廃刊にしないのかと思うほどである。
 この間のいきさつを、フォローできるところにいないし、気をつけているわけでもないが、スタッフのなかには、掲載に反対する人もいたのに、編集長が掲載を押し切ったとも聞く。
 まともな報道に携わろうとする人なら「維新」と聞くと、朴正煕の「維新」体制や2・26事件の昭和「維新」を想起するだろう。
 佐野眞一や、本誌取材班だという今西憲之、村岡正浩も、そのような問題はあると思っていないこともないだろう。
 しかし、橋下のテレビやツィッターを多用し、人の欲望におもねるやり方を批判するくらいでは、テレビなどを味方につけた橋下に対抗するには、佐野や『週刊朝日』取材班は、もっと汚い人間の側面、差別意識に訴えるしかないと思ったのか。
 実は、『朝日新聞』自体が、「民意」に阿(おもね)った紙面を国民、大阪府民に提供している。残念なことに、『朝日新聞』の時局に弱い体質、民衆の欲望を煽る体質は、大朝日新聞を構成する人々には考えてもらいたいところである。半藤一利は、統帥権論議から、満州事変にかけての朝日新聞の論調の激変を問題にしている。
 城山三郎『鼠-鈴木商店焼打ち事件』に描かれた内容も、朝日新聞社史に残る汚点だろう。
 朝日の従来やってきたことからして、橋下の大衆迎合路線を批判することなど、自らの自己批判なしには出来ないのである。結果は、安易に、人々の卑しい差別感情に付け入るというやり方であった。
 橋下の迎合政策や、ファシズムもどきは、橋下の政治家としての資質の無さであり、その人気は、週刊誌と同業のテレビの作り出したものと辺見庸が書いているのだろう。
 佐野は、その人物を描く場合の手法として生い立ちから問うていくのを自分の手法としたとか言っているが、同様の環境から、いろんな人物が出てくるのは、佐野自身のことを考えればすぐに分かることだろう。橋下の問題を、婉曲に被差別部落にもって行っていると思わないのか。
 これは、部落差別、未解放部落への偏見の一つの典型だ。
 橋下のご都合主義、民族主義国家主義的体質、これは、被差別部落と何の関係もない。橋下の問題だ。
 どうして、佐野眞一週刊朝日を、解放同盟は糾弾しないのか。実はしているが、朝日や毎日がネグレクトしているだけなのか。

 
二 『週刊朝日』の卑しい編集
 辞任した編集長が、反対意見を押さえ刊行に踏み切ったようである。詳しくは知る由もない。知る必要もない論外の沙汰である。佐野眞一といえば、実績のあるノンフィクション・ライターだと思っていた。つまり、書くことの意味を少しは分かっている筈だと思っていた。しかも一人ではなく、今西憲之とか村岡正浩という取材協力者の名前もある。
 反対した人たちは様々であろうが、身を挺してでも止めるべきであったと悔やむ人がいることは想像できる。編集長が決定したことだから、と思う人もいるだろう。しかし、この記事を載せた『週刊朝日』が公刊されることは、どんなことになるのか、少しでも分かったら、自己の存在をかけて、あるいは会社のためにでも止めるべきだったと思う。止められなかったという自らの責任をどのように考えているのだろうか。

三 問題を「屑ゴシップのばらまき」にするのか。迷惑を被ったのは、部落解放運動
 編集長の更迭や、社長の辞任などの理由を、橋下徹市長の名誉を傷つけた、などとあった。橋下周辺の本当かもしれない屑ゴシップをばらまいているからである。
 確かに、この屑ゴシップのデコレーションは、下品で拙い。しかし、問題を屑ゴシップデコレーションへ持って行くのか。その屑ゴシップのばらまきが編集長の更迭と社長の辞任か。違うだろう。橋下徹被差別部落との関係をほのめかしたのが問題なのだろう。そうなると、橋下徹の名誉を傷つけたという論理は一切出せない。傷ついたのは、部落の人の名誉だ。傷ついたのは、部落解放運動である。
 ご丁寧に、このひどい文章には、安岡章太郎が戦後最高の作家になり得ると期待した中上健次の傑作『枯木灘』が出てくる。
 安岡は、あれほど期待した中上をみんなが煽てて潰したというが、煽てでなんとかなるようなら、これほどの作品群を遺しはしないと思う。
 なぜ、『枯木灘』が出てくるのか、全て、被差別部落と連想させようとする悪意である。明らかに、『週刊朝日』2012.10,26は、部落への偏見を助長することを意図した差別文書である。
 1970年代に、悪質な、差別意識の典型「地名総鑑」の存在が問題になったとき、部落解放の問題について、朝日新聞論説委員の講演を聴いたことがある。
 橋下の名誉を傷つけた、などと言っている「朝日」系の惚けた会見記事をみると、恐ろしく、部落解放の問題は後退していると思わざるを得ない。

四 問題を逸らす橋下徹
 橋下は、2008年(平成20年)3月の府議会で黒田まさ子という日本共産党府議が2000年ならびに2005年の府調査のデータを挙げて「結婚差別も克服、解消されていっている」「同和行政は逆差別になっている」と発言したことについて、差別の実態を知らないと批判している。黒田まさ子という府議の厚顔な無知にも驚くが、橋下は、差別の実態を知っているのである。
 そうであるなら、橋下は、この記事の悪質さを、屑ゴシップの問題にしてはならなかった。橋下は、このような悪質な週刊誌の問題を、日本のジャーナリズムの拙い悪質さを、もっと抉らないといけなかった。それをすることによってこそ、橋下は、政治家として脱皮することができる筈だったのが、やはり、それだけの人物ではなかったのである。部落の問題をほのめかす、屑ゴシップ記事の材料になる程度の人間に過ぎなかった。

五 危ない報道、危ない学校
 橋下も問題だが、「朝日」『週刊朝日』は、どれだけの自省をしているのか、誤魔化す間もなく、総選挙、安倍内閣の危機深化内閣の成立に到った。物価が上がりはじめた。いまこそ、国民の生活が第一党が活躍すべきだと思うが、声が聞こえてこない。
 解放同盟がどのように対応できたのか、知らない。関西大学人権問題研究室がどのように問題を把握できたのかも知らない。
 何も聞こえてこないところをみると、人権問題研究室も他人事として済ましているのだろうか。