大阪維新の会、無邪気な恐ろしさ

 2011年4月10日、東日本大震災の災害終熄の見通しがでない状況下で行われた統一地方選挙で、大阪維新の会が、大阪府議会で最大勢力になった。この時期、ムードとか人気による動きに水が注されるかとの「期待」とは、反対に、この状況下で、情緒的気分は、さらに盛り上がったかも知れない。関東大震災のとき、多数の朝鮮人、中国人が虐殺された。阪神大震災のときも、そういったことが心配された。
 しかし、そういう情緒的なことは、形を変えて、出てくるのかも知れない。
 それにしても、「維新の会」というネーミングには、言いようがない。明治の政治家が自らの主張を「維新」などと言う筈はないから、「維新の会」とは、当然、昭和初期のテロリストたちの「昭和維新」を連想するだろう。昭和のテロリストたちが、政党政治家を攻撃したのと同様に、既存政党を攻撃するという構図は、「維新の会」というネーミングを呼んだのだろうか。しかし「昭和維新」の、狂信的テロリストたちが行った、日本へのダメージについてあまりに無知である。無邪気な恐ろしさを感ぜざるを得ない。
 無知、無邪気な世相が、街宣右翼のような名前の「大阪維新の会」を支えているとも言える。「大阪維新の会」など、せいぜいが、よさこい、そうらん祭りに参加するチーム名だろう。それが権限をもっていくことになる、正直、そら恐ろしい気がする。吉本興業の芸人たち、桂三枝も含めて、タレント仲間が知事になる(横山ノックという先例がある)と思って、よろこんでいたら、途端に、自分たちの活動の場を縮小されるようになって、真っ青になっていた。文字通り、自分で自分のクビを絞めたわけである。橋下もひどいが、思い上がっている吉本の芸人には同情できない。
 しかし、大阪府民も、自分で自分のクビを絞めていることに、いつ気が付くのだろうか。
 太田知事時代に、武田薬品の新しい研究所が、大阪府の要請にも係わらず京阪奈学研都市を避けて、神奈川県に設置されることになった、つまり、大阪は避けられた理由を考えなければならない。橋下は、石原慎太郎の真似をして、「カジノ」など言っている。つまり、このような稚拙なアイデアしか出ないのである。
 大阪が、日本の工業のまぎれもない先進地域、もの作りの先進地域であったこと知らないのであろうか。(神戸は、その大阪の「外港」。中国でいえば、天津だろう。)
 きちんとした教養も政策もない(弁護士橋下は、制度趣旨もわきまえず、徒に人々を煽り、法や制度が一番忌避したいところの「リンチ」を、弁護士に招いてしまい、敗訴して、債務を負っている。つまり、法的リテラシーも欠如している弁護士橋下なのである。)「維新の会」が、票を集める、災害で瀕死の日本、がんばれ日本ではない、危ない日本である。