ロンドン・オリンピック2012…… 無気力試合・卓球の日本チーム・柔道のジュリー
一 バドミントン選手の無気力試合による失格
7月31日ロンドン五輪のバドミントン女子ダブルスの予選リーグで、故意に負けたとして、準決勝進出を決めていた4組8人の選手を、世界バドミントン連盟(BWF)は失格処分にした。
玉木正之は、今のような試合方式、つまり予選リーグと決勝トーナメントの方式をするとしたときから、このようなことが起こることは予想しえた。つまり、試合方式が悪いと言っているようである。
この処分を疑問視する声は聞こえてこない。むしろ、日本の女子サッカーチームが、南アフリカに対して、途中から引き分け狙いになり、それが大久保監督の指示によるものであったことを、監督自身が言明したことが話題になっている。予選一位通過の場合の交戦相手や、長距離移動が必要になる試合会場のことを考えれば、引き分けにするのが、一番都合がよかったらしい。
しかし、そのために、勝たない試合、負ける試合というより、気の抜けたプレーをすることは疑問である。
サンデー・モーニングで、ジャマイカのウサイン・ボルトが、予選の最後などでながすのを、張本が「喝!」と叫んでいるのを笑止と思ってみていた。そういえば、張本が尊敬する長島茂雄は、どんな凡打にも、一塁を全力で駆け抜けていた。立教の無名の一年生が凡打で駆け抜けたのを覚えている人がいる。それが、通算8本塁打の新記録をつくった長島の神宮デビューだった。
イチローのそれぞれのプレーが感動を与えるが、長島茂雄がそれだった。晩年の長嶋茂雄は、やはり全力疾走だったが、もがいている印象もあった。しかし、それが感動的だった。息子の一茂と、父親の長島茂雄との一番異なる印象はそれだった。ねじめ正一が、神様と仰ぐ長島茂雄に、一茂に走れと言ってくれ、と言って苦笑させていた。
オリンピックは、祭典なのだ。みんな、そんなプレーやパフォーマンスを競いあったり、見たいのだ。800mでヒジャブをしたパレスチナの少女が、集団から大きく後れて、必死に走っていた。みんな拍手をした。拍手で自分の感動を表したかったのだろう。
日本の卓球チームが、決勝まで中国に会わないような組み合わせになるシードを獲得するために、石川佳純は、遠征を重ね、ランキング6位に躍進した。国別ランキングも躍進した。その結果、石川も各国の中国系選手やスタッフに研究されたが、それ以上に石川佳純の技術も精神もともに著しい成長をした。福原・平野も伸びしろをみせた。逆に大きな大会では伸びないと活躍できないのだろう。
それらの結果としての銀メダル、これは感動的だった。
二 柔道のジュリー
海老沼がジュリーの物言いで、判定が覆ったのはよいが、篠原が言うように、西山の一本が覆されたことに、ジュリーから何も出ないのは、ジュリーによる申し立ての基準がはっきりしないことによるらしい。
海老沼の場合、審判によれば、判断再考しろというのじゃなくて、変更しろという指示があったという。実際には、再考せよ、と変更せよの区別はないだろう。ジュリーがみていて、あきらかに逆だと思い、ビデオでチェック確認させられたら、仕方がないだろう。
新聞のコメントだから、どれほど伝えているか分からないが、結構、妥当なことを言っているといわれる山口香筑波大准教授の、このことに関する、ジュリーで変わるのだったら、審判は何だったのかということになる、というコメントは、よく分からない。つまり、審判が、それほど未熟だったということなのである。それほど、多くの誤審、一番有名なのは、シドニー100㌔超級決勝での篠原の一本が相手の有効になった大誤審である。コーチの斎藤が、試合途中でポイントの確認でもしておれば、とも思うが、それも出来なかった。
山口のコメントで変なのは、審判はどうなるのではなく、そのような誤審だらけの審判に委ねていたこと自体、ぞっとすることなのである。審判の技量があがれば、ジュリーも単なるチェッカーになるだろう。技を知らない審判の前で、技を行使することなどできないではないか。柔道の発達の使用がないではないか。その意味では、シドニーの誤魔化し裁定は禍根を残したと言わざるを得ない。
しかし、当分、ジュリーの制度の充実が先行せざるを得ない。山口香は、いろいろ発言しているようであるが、大相撲に少し近づいた程度である。柔道が柔道らしくなるためにも、審判の技量が必要であるし、審判の技量が、客観的にみれば、こんな状態だったのだということが暴露された画期的な大会であったということを山口はみないといけない。