毎日新聞記者の渡辺暢、井本義親は、自らの危機を認識しているか。

一 危ない渡辺暢・井本義親の記事
 記事というのは、今年(2012年)5月10日の毎日朝刊の26面のことである。随分古くなって、間延びしてしまった。しかし、見過ごしておくのはいけないと考えた。
 大きな見出しの「国民目線の重視を」「証拠の評価の問題」「納得しないなら当然」には、全て、「 」がついている。渡辺暢・井本義親が、わざざ署名している記事である。新聞にとって見出しが持つ意味は、判っているだろう。それが、すべて「 」付きである。何のプライドも羞恥心もないのか。無責任表示とさえ思われても仕方がない。

二 渡辺暢・井本義親は、重視しないといけない「国民目線」を何と考えているのか。
 おそらく、渡辺も井本も、検察審査会の強制起訴のもつ、取り返しのつかない問題について、全く判っていないのだろう。
 検察官は、公判を維持できるだけの証拠がないと判断したので起訴しなかったのである。その判断が妥当かどうか、もう一度チェックしてみてくれ、それはいい。しかし、もやもやするから、裁判にかけろ、というのは、人類の裁判の歴史が克服しようとしてきたリンチとどれほど違うか。渡辺と井本は、勉強をはじめからし直すべきである。そうすれば、「国民目線」……「目線」など変な言葉だ。新聞記者が、このような記事で使う言葉ではないが……など、やっかみとか怨みとかから生み出すリンチ視線なのだということは理解しないといけない。

三 「証拠の評価の問題」
 だいたい、証拠がないから起訴しなかったのを、無理に、証拠がないというのは納得できない、と強制起訴しているわけである。最初から、証拠がないというのを、無理にあるはずだ、評価の問題だというのは、これは、司法とは、そのような「見方次第というものだ」というように貶めることになるのだ。渡辺と井本は、衰退する日本の法律学、司法のさらに、徹底して廃物にしたいようである。このような、杜撰な記事が抗議されないのが不思議である。

四 「納得しないなら当然」
 判決に納得できないなら、控訴は当然、と渡辺・井本も思っているのか。渡辺暢・井本義親は本当の記者か。尤も、人権侵害して平気な弁護士も多いから、とんでもないことを平気で書く記者もあり得るが、少しは考えろ。証拠が無かったから起訴できなかったのを無理に起訴しているのである。「無罪で当然」なのだ。無理に起訴しているのだから、無理を納得などさせられる訳はないのである。
 渡辺暢も井本義親も記者失格であるし、このような記者を雇う毎日新聞は本当に危ない。戦前の「満蒙は日本の生命線」として煽っていた自社の歴史を反省しろ。

五 「市民から負託をうけた指定弁護士」として気負っているのは天方徹か
 ちょっと気持ち悪くはないか。市民から負託を受けた正義の味方だとばかり、あきらかに、証拠不十分である者を、自分はまだ疑ったいるという理由で、裁判にする。弁護士の天方は、裁判にかけられる者の負担がどれほどのものか、理解できないのか。渡辺暢も井本義親も自分も裁判にかけられるかも知れないということを理解しないのか。実際に法廷に被告として立たされた方の精神的物質的損害は、誰が償うのか。また、この調子で、日本の司法は、刻々と崩壊している。この社会全体が負う負債は、井本義親・渡辺暢にもしっかり償ってもらうぞ。