市川訓敏(関西大学図書館元館長)「巻頭感  書を求める切なる心 ―創立時の『講義録』に寄せて―」(『関西大学図書館フォーラム』 第12号‐2007),   角田猛之教授の言説に触れ――母校関西大学とりわけ法学部を思う⑤

(1)
 関西大学法学部教授角田猛之のとんでもない言説をみた。とんでもないいわば「非法の論理」が、仮にも「法学部」を闊歩しているのである。法学部スタッフは、どうして放置していたのかと思うのである。卒業生としては、法学部スタッフの責任を、少しは問いたいという気になってくる。角田が、実定法のスタッフであって、それが何かを書いているなら、現実との接点で、その異様な点は幾分かはチェックされるであろう。角田は、憲法に言及しているし、刑事法にも触れている。その点で、見逃されている責任は多くあるが、それでも、日本法制史の担当者として、責任とそれに見合う待遇を受けている者は、その責任に答えないといけない。日本法制史担当教授市川訓敏は何か言っているか。2007年の『関西大学図書館フォーラム』という図書館の機関誌第12号で、当時図書館長だった市川は、その機関誌の「巻頭感」なるものを書いている。これはインターネットで見ることができる。
 角田の「神権天皇制」なるもの、その陳綺なものが、学生の目に触れ、公刊もされる。そんな奇態なものが、のうのうと動ける場所が学園であっては困るのではないか。学生のために、その異様な言説から、学生を防御する義務が市川にはあった筈である。角田が、明治憲法の各条文について、歴史について、理解する能力を全く欠落しており、その能力欠落の故をもって、異様なことを述べていることに対しては、市川は、自らの存在を賭けて、角田を抑制する義務があったのではないか。不合理なことが、市川の所属する法学部の存在自体を危うくしているという自覚は市川にはないのだろうか。

(2)
 しかし、この『図書館フォーラム』№12の38字ほどで25行程度、つまり千字に満たない文をみて、これでは角田を抑制することは困難であったか、と嘆息せざるを得なかった。
 市川のこの短い文の趣旨を把握するのが非常に困難なのである。どうやら、大学(および、そのような高等教育機関)の古今の情景を描いてみようと思ったようである。
 ところが、知識が変なので、というより、無知なのに、知ったかぶりをするので、変なことになっている。
1.「講義録」の元は学生のノート、「書を求める切なる心」はおかしい。
 「書を求める切なる心 ――創立時の『講義録』によせて――」というタイトルである。市川は当時の学生が、講義録に食い入るように見入ったことを「想像」している。当時の、というより、戦前はほとんどそうだったと末川博が書いていたが、大学の勉強は、講義が中心だったということを聞いたことはないだろうか。この『講義録』も、元は学生のノートだろう。まさに講義「録」なのである。市川のレジュメプリントを読み上げる講義が逆推測される。だから、タイトルからして変なのである。図書館に勤務している職員なら、そのくらいのこと進言できないのか。元は学生のノートであるということは、関西大学の年史資料展示室にも書いてあった筈である。
2.「司馬遼太郎さんの『空海の風景』」
 司馬遼(辶は楷書で用いられた省略形にすぎない)太郎「さん」の『空海の風景』が出てくる。「さん」とつけるのは、市川は、この作家と知り合いなのか。最澄が目覚めた「密教の重要性」を市川はどう思っているのか。『空海の風景』とは、うまいネーミングだ。空海のことなどとても分からない半端な作家が、もっともらしく売文をしあげたときの紀行文である。紀行文であるから、「風景」としたのである。市川は、「私たちに強く訴えかけるものがある」などと書くが、本当に訴えかけられたものがあるなら教えて欲しい。最澄のことを言うのなら、薗田香融教授(現名誉教授)が、「山家学生式」の一句「照千一隅」を「照于一隅」と誤読し、「一隅を照らす」運動を推進していた天台宗に、最澄を矮小理解することの問題を提起して大騒ぎになった有名な出来事を覚えていないのだろうか。
3 問答形式
 文の半ば以降、「問答形式」という語が目立つ。それが怪しいのである。「日本の律令学のテキストである『令集解』も問答形式が用いられていたし、……トマス・アクィナスの『神学大全』も、先行の説を踏まえ、問答形式で壮大な体系を打ち立てている」と書いている。
 令集解は、義解完成後に、惟宗直本が諸家の私説の散逸を恐れて私的に編纂したものだと高校生用の参考書に出ている。そうすると、令集解は、市川にとっては、はるか遠くにあるいわば「テキスト」(先の「講義録」についての認識を思い出す)だろうが、平安時代の明法家が、みずからが編纂していったものであること想起するなら、「テキスト」のような言い方をするのは憚れる。テキストというより、自分たちがつくっていったものである。また、諸説を編纂したから集解である。なかに、問答を挿んでいることもある、ということは、基本的には、問答にはなってはいないのである。
 市川が、自分で研究し、その成果を教室で語りかけるという原則をわずかでもしておれば、このような、ぶざまな文は、書くことはなかったであろうと思うのである。
 ついでに言えば、『神学大全』を問答形式とは思わなかった。確かに、項目は、疑問形である。つまり論題である。当然疑問形にもなる。例えば、第2問には「神について、神は存在するか」とある。課題を出して、誰かが答えるのではない。自分が展開しているのである。自問自答とも言えない。これを問答形式というか。タイトルは、やはり、議論する項目だろう。現代人が書く論文の題は、これから書く場合の課題だろう。それと、ほとんど変わらない。論文らしきものを書かないものにとって、神学大全も問答形式に見えたのだろうか。
 昭和33(1958)年に、稲垣良典の訳でトーマス・アクィナス『法について』という『神学大全』の一部が出版されている。第一章が法の本質とあって、考察叙述の順が述べてある。(一)法は理性に属するものであるか。という課題がある。最初つまり原典はどう書かれていたのか知らないが、訳書では、(異論)と太字で書かれ、理性に属するものではないという論理が展開されている。その後に(友論)理性に属する論理が述べられる。そして(結論)が展開される。
 いわば、論文である。ある課題を提起される、つまり、ある問題が提起されるのには理由がある。論者は、普通、それについてのなんらかの見透しをもっている。検証のための異論を提出する。それにたいして、友論が論駁する。改めて結論が展開される。
 「法について」は、異論と友論が出てくる。それでも、対抗する者が問答を繰り返すわけではない。論文を書く場合の、反対意見を検証して、結論を確認する方法で、その点においては、とくに奇妙なところはない。
 
(3)
 市川と角田は、いわば変な互助会か。互助会といえば、実際に心やすらぐ活動をなさっているのを見たりするので、角田の出鱈目に厳しく接しないといけない市川が、出鱈目で対応して、角田の出鱈目を隠しているようであるし、市川の今までの出鱈目が、角田のいかがわしさの前に影がうすくなるような関係になってしまっている。互助会の人に失礼だが、市川と角田には、そのような印象がつきまとう。
 関西大学図書館といえば、規模といい、内容といい、関大が誇るものの筈だが、その図書館長の文章としては、如何なものだろうか。何が言いたかったのか、さっぱり分からない。大学は討論の場と言いたいのか、それにしては、長年、教員をしているものにしては、学生と切磋琢磨とは、自負心がなさ過ぎる。つまり、自身の不勉強の言い訳なのか。
 しかし、この短文に頻出する、怪しい認識はどうなのだろう。切磋琢磨以前の自身の不勉強が丸出しじゃないか。
 しかも電子配信しているから、どこでも、この恥は、受信できてしまう。
 市川は、学生のためのガードにならないといけないと思ったのだが、『図書館フォーラム』の図書館長の「巻頭感」を見ると、元図書館長で法学部教授市川自体が、とんでもないことを言いまくっている恐れが出て来た。