角田猛之の「神権天皇制」とは何か   (『戦後日本の〈法文化の探求〉―法文化学構築にむけて―』関西大学出版部2010)の問題  ―その3  ……母校関西大学とりわけ法学部を思う③

四 角田猛之の「神権天皇制」とは何か (『戦後日本の〈法文化の探求〉―法文化学構築にむけて―』関西大学出版部2010 )の問題   その3
(一)
 関西大学出版部刊の角田著のまだはじめの部分しかみていない。はじめの部分で、さらに読み進めるのは困難になってきた。このような内容である。法学部教室では、これ以上の言辞が発されているのか。関西大学法学部学生の不利益はたまらないものになるであろう。本書は、多くの人名や文献でもっともらしく粉飾されている。しかし、もういちいち剥がしていく必要もないと思われる。引き合いに出されている故矢崎光圀、故八木鉄男の先生をはじめ、竹下賢・笹倉秀夫らの諸氏にとってはさどや迷惑なことであろうと思うが、学生が蒙る迷惑はとんでもないことになる。学生にとっては、引き合いに出された先生方は、いわば、角田の共犯のような立場になってしまう。「マルチ・リーガル・カルチャー」など、即刻に、根底的見直しをされないなら、法学部教員としての教壇への登壇資格が疑われるであろう。
 かつての、関西大学法学部教授会は、学生の問題提起に対応しえなかった中谷学長を不信任決議したほどの見識を示した。
 今、その教授会の一員は、日本では堕胎が「自由化」されていると語っている。関大出版部刊行の書物で語っている。ヤクザ集団が、国家法を否定した厳格な自律集団だと、劇画にもならないような低劣なことを書いている。ご丁寧に、自分風に納得したような理由まで付けてみたりしている。それが、まさにバカの証明になっている。こんな「法社会学」は、テレビの余興でも、あり得ないだろう。テレビの余興はもっとレベルが高い。

(二)
 はじめの部分をみて、相当困ったものだと思ったが、最後の題が「神権天皇制と象徴天皇制における〈意識の断絶性・意識の連続性〉―法哲学、法文化学の視点から」などとあるのには、一言しておかなけばならない。
 明治憲法第1条は、たしかに、粉飾として「万世一系天皇之ヲ統治ス」とあるが、この条文には、一切の実効的意味はない。早い話が、「万世一系」自体が虚偽であることは万人認識していたか関心がなかったかである。明治天皇が、北朝系であること(つまり南朝系ではない)は、関心があるものなら知っていたからである。無関心なら論外である。この時点で、つまり、そう昔ではない時点(南北朝期)で、万世一系ではない。(その前は一人でも)この時点で、確かに天皇は、同時に複数存在していたのである。しかも、その後、天皇家にとって最も重要な儀式である大嘗祭は何百年も催されていなかったのである。
 そのように、実体のない王の粉飾である。さらに権限も何もない、つまり神「権」など無いというのは、角田があげる明治憲法第3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スへカラス(角田は「ス」に濁点を付す)」にある。天皇は神聖不可侵なのである。つまり無権限なのである。「神権」などないのである。角田は、かかる短い条文一つ理解する能力が無いのである。当時の、君主国の多くが同様の条文をもっていることは、周知のことである。簡単にわかる例として、岩波文庫『世界憲法集』(宮沢俊義編1960)に清宮四郎担当でベルギー国憲法(18931年)の掲載がある。(「いくつかの条文は、1893年9月7日、1920年11月15日、1921年2月7日8月24日および10月15日の修正のときに改正された。」また「この憲法のフランドル語の正文は、1925年11月25日の勅令によって公布された」とある。)
 清宮は、この長命の憲法を19世紀の自由主義の典型的な産物、としている。そして、これにならった憲法も少なくないとする。

 第63条 国王の一身は、侵すことができない。国王の大臣が責任を負う。
 
とある。つまり、如何なる責任もない、同様に如何なる権限もないのである。日本で、尊王とか、「神権」ばりのことを言ったり、(天皇の)統帥権「干犯」などと、言って、危機に瀕した国民経済をも慮って軍縮政策を行おうとしていた人たちを、攻撃した人たちが、自分たちの利害のために、自分たちの主張のために天皇に仮託したり、統帥権を叫んだだけである。「統帥権の独立」という考えは、本来、軍事が政治に利用されることからの防御理論であったことは、明らかなのである。天皇を騙る人物はすべて、天皇を利用しようとした、尊王精神に欠ける者たちであったことを角田は知らないといけない。角田は、何を根拠に「神権天皇制」などと言って、何を言いたいのか。

 天皇帝国議会ノ協賛ヲ得テ立法ヲ行フ

 明治憲法の第5条である。我々は、中学や高校で、明治憲法下の立法では、議会は「協賛」するのに過ぎなかったなどと教わる。この協賛は、伊藤がもとは「承認」の言葉を宛てようとしたことは、鈴木保蔵や清水伸の述べるところである。いち早く、欧米に配布した英訳ではconsentになっている。無責任の天皇のもとで、必ず議会の決議による同意が必要というのは(『憲法義解』でも「同意」と表現しているところがある)、天皇機関説ではないか。美濃部は、天皇機関説という主張やイデオロギーを展開したわけではない。伊藤らが制定した憲法を素直に解釈したに過ぎない。明治憲法を解釈する限りにおいて、「神権天皇制」など考える余地はない。
 日本のほとんどの大学法学部では、天皇機関説が講じられ、官僚は、当然のことながら、天皇機関説憲法の解釈で高等文官試験の勉強を行っていた。従って、一時期、坂野潤治が、分かっていない田原総一朗などに美濃部は解釈改憲をしていたとか説き伏せていたが、これも大間違いである(佐高信の師、久野収は「顕教密教」などと、これまたトンチンカンな「解釈」をしていた)。「神権」天皇を中核とする「国体」を構築していたとするのは、ほんの数名の神がかりの人たちにすぎない。あるいは、「天皇」を我が利に利用しようとする人たちである。角田もその神がかりの霊媒師のようになっているに過ぎない。
 天皇機関説事件ないしは論争は2回あって、第1回は、あっけなく、神がかり派は沈んだ。第2回は、帝国議会で、菊池武夫元中将男爵が天皇機関説攻撃をしたことである。このときも、美濃部の前に、菊池は論破されたのであるが、鳩山文部大臣に、天皇機関説などというけしからん講義をする帝国大学などとは別の高等教育機関をつくるべきじゃないかと主張しているのは、現今、法科大学院をはじめぼろぼろ状態の今の日本をみると、当時の大学の方がまだましだった、いや大いにましだったのかと思ってしまう。
 この論理的な発言ができない貴族院議院と、政党的利害駆け引きに天皇機関説排撃攻撃を利用しようとする政友会の矢面にたったのが、2・26事件で倒れた岡田内閣である。岡田啓介が、国体明徴声明を出したのは、憲法改正に動きだすのを避けるためだったと三谷太一郎は本条日記を根拠に述べている。

(三)
 1995年だったと思う。オウム真理教事件が一番の話題のころ、NHKのテレビ番組で、丸山真男が以前は日本中がオウムみたいなものだったのだよ、とインタビューに答えていた。しかし、憲法学者のほとんども、官僚も、軍人中核の内閣も、当然に丸山真男天皇機関説だった。けれども、角田は、神権天皇制だっという。角田には神権天皇制の方がよく分かるらしい。というより信仰しやすい、ということだろう。さらに、丸山が、日本中がオウムのようだというのは、大政翼賛会結成以降のころからかも知れない。尤も吉本隆明など、戦争中でも、もっと冷静だったと言っている。しかし、実際に理性的合理的であれば、軍事予算が国家予算の六-七割を越えるような状態で戦争するのは、正気ではない。尤も、だからこそ暴発したとも言える。戦争に突入すること自体、政治の破綻である。

(四)
 以上、先に、角田の関西大学出版部版の著書の書き始めをみてみたので、今度は最後をみてみた。言葉がない。関大の学生には見て欲しくない。このような内容のことが教室で行われているとは、思いたくない。
 関西大学出版部は、編集会議もないのか、それとも、それだけの知的能力が関大には無いのか。それ以上に、角田は事前に発表しているものだから、憲法学の同僚でも、アドバイスできないのか。関大法学部の憲法学、日本法制史学、それに刑法学の水準まで、露呈していないか。角田著の出版は、関西大学出版部、あるいは関西大学自体の名誉を損なわなかったか。これは疑問風の言い方をしているが、損なっているだろう、という趣旨である。念のため。
 「念のため」に言ったのは、角田の悲惨な著書の最後に、日本法制史の市川訓敏教授への謝辞が出てくるからである。その市川教授が、このような疑問風の言い方を全く理解しえないからである。日本法制史の教授といえば、角田が、とんでもないことを書いていることに、真っ先に忠告をして、学生の被害を最小限に防ぐ義務がある筈である。それが、危ない誤謬を発散している著書の謝辞で登場しているのである。次回は、この関西大学法学部の下落情況の共犯者の状態を一瞥しておこう。