政治家の劣化と官僚の劣化


 2008年には、ノーベル物理学賞小林誠益川敏英両氏とアメリカ国籍の南部陽一郎氏が受賞され、下村脩氏が化学賞を受賞された。
 マスコミも取材で盛り上がっていた。益川氏が研究が認められたことは嬉しいが、受賞自体については、それほどで喜ぶことでもないと言って話題になった。
 そのような取材において、日本の物理学研究の水準のことについての質問があった。受賞者は、異口同音に、日本の自然科学研究も教育も深刻な状態であると沈痛さを隠さなかった。いずれも30年か、もっとも前の研究だと言っている人もあった。
 私たちが、高校生、学生のころは、「理科系偏重」という言葉あった。その理科系において、そうなのか、つまり知的水準の低下があるのかと思った。

2
 それは、文科系では、大学が大人の遊園地化していると言われて久しいからである。とくに経済学部で顕著だと言われる。
 「アルフレッド・ノーベル記念経済学」スウェーデン国立銀行賞をノーベル経済学賞として、ノーベル賞の権威にあやかるように、多くのエコノミストが言っているところが、辛い。新聞も、ノーベル賞の一部門並の扱いをしている。
 安倍晋三が平気で、崩れた規制緩和にすぎないものをアベノミックスなどと、自分で言って恥じないのは、経済学者を侮っている証拠である。また侮られて仕方がないのかも知れない。
 アンダー・コントロールの大嘘については、次々に打ち出す安倍の暴走の前には影が薄くなったかも知れないが、これは、日本国民にも、東アジアの人々にも係わる問題なので、報道関係者が手をこまねいていることは許されないことなのである。

3
 大河ドラマ『八重の桜』は、新島八重の生涯を描いたものだったが、その同志社は、経済学が看板の時代があった。関学も、慶応も経済学部が看板の時代があった。それが、法学部が看板になっていた。その法学部が悲惨な有様である。
 もっとも関西大学法学部ほどはひどくはないが、法科大学院裁判員裁判などをはじめ、日本の司法が危機的な状況に陥っていることについて、その危機的状況であることへの認識も無いのは、言いようが無い。
 新聞にも、平気で「被害者参加制度」なる言葉が出て来る。実際にある制度だから仕方が無いのだろうが、一般教養科目の法学で学ぶ、刑事裁判の原則を勉強すれば、変だと思わないはずは無いのである。

4
 民主党の海江田が、特定秘密法案を、リンカンのゲティスバーグのスピーチをもじって 「官僚による、官僚のための、官僚の」法案だと、激していたが、これは、官僚のためというより、愚劣な政治家のための法案である。問題は、この法案を起案した官僚がよくも問題にしなかったと思うのある。
 安倍晋三が歴代の首相のなかでもとびきり程度が劣るのは判る。漢字の読みに問題があった麻生も負けてはいない。そのおかげで安倍の劣等ぶりは、幾分かはやわらげられた印象をうける。
 しかし、あほうぶりと、強引さは、対応する、やりとりの自信が無いから強引なのである。本人だけがあほうなら、それで済むが、多くの人が難儀し、苦難をさまようのである。安部自身はあほうだから、責任を問われることはないだろう。
 明けない闇は無いとか、あがらない雨は無いとか言うが、大崩壊の結果、明けるのでは、あまりにも悲惨ではないか。
 安倍の母方の祖父がかかわった大東亜戦争体制も、数え切れない犠牲を払った終焉である。それは、日本国民だけでは無いことも知らないといけない。その想像力のかけらもない総理を抱く日本に未来像を描ける筈が無い。
 今の日本にいてさえ、ヘイト・スピーチでうさを晴らす連中が、武器をもった異国で何をするかは、たやすく想像できる。靖國参拝で文句を言うのは、中国と韓国だけだと言うお馬鹿な国民もいる。中国と韓国が、どのような苦しみを味わったか想像できる頭が無いのである。
 そんな知能の人間が総理大臣などになってはいけないのである。
 劣化しているのは、大学や官僚、政治家だけでなく、自民党の劣化もひどいのである。