山田太一ドラマ『鳥帰る』

 5月8日に、NHKアーカイブスで、田中好子の追悼番組として、山田太一の1996年の作品『鳥帰る』(田中好子杉浦直樹香川京子)の再放送があった。
 ブランド・ドラマとしての山田太一ドラマは、きちんと台詞が書いてあるそうである。東京や大阪の住人が、鳥取まで旅をするのであるが、きれいな画面は、丁寧につくられたドラマとして、見応えがある。
 しかし、山場は、一挙に、ほぼ終わりになって出てきた。倉吉の実家で、4年ぶりに会った母親(香川京子)と、話が続かず、喧嘩別れのようなかたちで、出かけて来た米子の白鳥公園にいた田中好子のところへ、意地をはって分かれた母親の香川京子が、杉浦直樹に伴われて現れる場面である。「なによ」と驚いたように大きな目を見開いた田中好子は、怒っているようにも見える。その目が、次第にうるんだようにみえ、ぽろりとつたっておちた。やがて、必死にこらえていた心の堤防がたまらずに決壊して洪水のように溢れだした。
 お昼ごろ、米子の白鳥公園へ出かけた田中好子たちは、飛来した白鳥でいっぱいの公園を期待していたと思う。ところが白鳥は一羽もみられず、寒々としていた。白鳥は、夕方になると帰ってくると言う。どっちみち、杉浦直樹との待ち合わせは夕方なので、それまで待とうということになった。夕方になった。白鳥の群れが帰って来た。田中好子の連れのカメラマン志望の青年は、必死にシャッターを切っていた。乱舞する白鳥の群れは、ドラマの最後を飾る場面かと思った。しかし、それにしては、なにかしら、華やかさがない白鳥の乱舞シーンだな、と思った。
 香川京子が現れるのは、その時である。華やかさがない白鳥の乱舞は、田中好子と母親(香川京子)との緊張関係が、一挙に洪水のように流れ去る劇的な瞬間のコントラストになる背景だったのだ。
 スーちゃんが、もっと映画にでたかった、もっとテレビで演じたかった、と苦しい息づかいの中で、しかし、はっきりとした口調で言っていたことを思い出したとき、自分が他人には見せられない顔をしていることに気が付いた。