関西大学生活協同組合『書評』の惨状③ 関西大学人権問題研究室元室長 吉田永宏に質す

一 木村愚門「愛される権利」(関大生協『書評』№123、2005/4)にあらわれた『書評』の問題
 木村愚門こと関西大学社会学部教授木村洋二の文は、とても不愉快な文だ。なぜなのだろうか。
 木村の文には、はっきりと、悪質なデマもある。これは勿論不愉快だ。これに何も言えない、ゴースト編集者《M》や〈編集委員長〉吉田永宏の惚けぶりにも憤りを覚える。しかし、単なるデマなら、これは嘘だ、といえば済む。木村洋二の文には、それ以上に不愉快なものがある。
 それは、思いついた拙い、論理とは到底言えないシャレに、自分がはまってしまって、強引に押し通していることである。№121の文にあるプロペラとかコロアカとかは、木村自身は恐る恐る書いたと言う。それを、№123で、なぜ繰り返す。むしろ、より踏み出している。なぜか、《M》がその粗稿を恭しく押し戴き、〈編集委員長〉の吉田永宏が、それを黙認というか追認したからである。その惚け惚けコンビの反応に、木村は自分の邪心に確信を持ったようである。
 その不快感は、前の大阪府知事、現大阪市長橋下徹の言行に感じるものと似ている。それは、人々が、長い苦心の末、やっと築きあげてきたものを、人なら誰もが持つ卑しい感情に依拠して潰し、自分の怨念を満足させることである。極めて、反社会的犯歴史な、忌まわしいことである。
 先に言った№121の文で書き、また登場させたプロパラ、つまり、組合などは寄生動物だという言い方である。それを、関西大学生活協同「組合」の『書評』に書く者の神経も問題だが、載せる者も載せる者である。書いた者(木村)は、何も考えずやったことかも知れないが、載せた者《M》は、きちんと読んではいないか、あるいは読み得ていない。そんな拙い、不快なものを、経費を使って印刷し、読ませるのは、生協や組合員に対して害を加えたことになる。
 木村が、「プロパラ」の例としてあげる、労働組合は、多くの犠牲を伴いながら、長い苦闘の結果、やっと結成し活動の実績が出始めた途端、まず、国鉄の分割民営化で大打撃をうけている。その後、派遣労働の規制緩和で、日本の労働関係は解体状態である。
 卑しいねたみや欲望のもとに潰されていったのは、郵政もそうである。郵政民営化のときも、「郵便貯金、簡易保険の金をみんなのものしましょう」という類のことを、拡声器で言って回る宣伝カーがあった。なんと恥知らずかと思った。しかし、それが、多くの票をあつめ、結果、多くの国民の生活にしわ寄せがいった。
 橋下は、法律というものを、みんながうまく行くための合意と考えずに、どうしたらかわすことができるラインだと考えている。つまり、法律というのを人々の活動の土台になる規範と考えずに、かわすものとくぐり抜けるものと考えているのである。だから、法律は、本当は人々の活動の原点である一端である筈なのだが、橋下にとって、活動の原点は欲望なので、法律は、できるだけくぐり抜けるものなのである。
 橋下は、弁護士の筈だが、法についての基本的な思考ができていないので、光市の母子殺害事件では、多くの人々の卑しい感情を煽って、大阪弁護士会の処分を受けることになった。
 関大生協『書評』には、そういう欲望やデマで渦巻く社会に対して、理性的にメスを入れることができるような論評が期待されていた筈だ。〈編集委員長〉吉田永宏は、『書評』を「表現・発言の主体的な場に」などと言っている。欲望や情緒に流されない合理的な論評をするということが「主体的」ということではないのか。
 それほど世にしられることなく終わった同人誌などを追うのを課題にしている吉田永宏だが、「公刊」のもつ意味をどれほど理解しているのか疑わざるをえない。

二 酒場の与太話ではじまる木村洋二の文「愛される権利」
 人間であるなら誰しも享受しうる権利、つまり人権、それを失うということは、人間とは見なされていないということになる。18世紀の後半にアメリカ独立宣言やフランスの人権宣言で、国制の根本として謳われた人権である。
 木村たちが、酒の肴に喋っていた「愛される権利」とか「義務」は、当事者たちの他の介在を許さない性質のものだが、木村は、その酒場の話から、ねたみや嫉妬などの感情で味付けをして、マスコミで騒がれている、つまり、よく知られた事件を材料に、そのような(つまりマスコミで騒がれるような)事件を起こしたやつにどんな人権なんだ、というのである。
 理屈があるようで、論理は全く読めない。事実を述べているようで、本当に確かなことは何も書いていない。木村は、放火や銃を乱射して殺傷した少年たちの心情を、そのやっかみや被差別感から、判らないこともないと言っている。つまり、判るふりをする。その「判るふり」、「そうなんだよ、おれもそうなんだよ、火をつけたい気持ちわかるよ」ということで、木村は、自分が何一つ論理的なことを言っていないことを、ごまかし、木村が、事実を何一つ検証していないことを、誤魔化しているのである。
 何のために、そんなことで、殺人などするやつは、化け物だ、そんなことで放火するのか、と攻撃するためである。
 論理もなく、事実検証もなく、「判るふりをする」、これは怖いことである。これが偏見、予断だからである。差別が元でおこる事件の典型である。部落差別は、差別のことが判っていると思っている者に多いことがある。差別されているからなあ、そういうことをしてしまうよ、というわけである。
 木村は、そういう差別者の典型の感覚をもって、ことを行っている。

三 「いじめ」の方法
 木村洋二は、判決が出ていない事件を多く例にとって書いている。しかも、多くは、マスコミでほとんど、有罪は動かしにくいとされているもので、それに付随した多くのあやしい情報をあげている。それを材料に、かってな分析や解説を加えている。これこそ、世間にある「いじめ」の典型である。だれでも、「弱み」はある。「弱み」を根拠に追求されることがある。それこそ、多勢に無勢だ、その弱い立場の人間を、多数の迫害者とともに罵る木村を、編集者の村井は、どうして奉るのだ。単に惚けていただけか。吉田永宏は、当時人権問題研究室の室長だった筈だ。自分が編集委員長をしている雑誌で、人権侵害が行われているのを、知らなかったでは済まないだろう。職務怠慢だ。
 また、被告人を、犯罪者ときめつけて語ることなど、法学部のスタッフも、問題にすべきだったのだ。そのようなことを問題にすることができるようなスタッフからは、『書評』など、既に見放されてしまっていたのかも知れない。しかし、自分の学校でかかる不埒なことが起こっていることに気付かないのは、それほど、学問的知的に弛緩した状態になっているということなのである。
 その弛緩した状態を見透かしたかのように。木村洋二は、

……同時に、「反権力」ならばなんでも正しいと思い込んでこの教団(オウム真理教)を擁護した多くのメディアや左翼人士、人権派の弁護士先生がいたことをも記憶しておこう。

 と述べる。宗教学者の島田や中沢は、左翼人士とは言えない。だいたい、「反権力」ならば、何でも正しいと思い込むというのは、木村のような、半端な右翼の思い込みにすぎない。こういうデマも困るが、「人権派の弁護士がいたことを記憶しておこう」などと、あきらかに、人権派弁護士を中傷するデマで、このデマを「頒布した」関大生協『書評』は、自己批判と謝罪をすることに吝かであってはならない。それが問題だと判るだけの「力量」が、関大生協や『書評』にあれば、の話であるが。
 かなり早い時期にオウム真理教の被害にあったのは、「人権派弁護士」だったのである。そして、裁判で、弁護の引き受けてがなかったので、人権派の弁護士が、自分の業務に差し障りがでたり、危害をうける危険もあるのに、弁護を引き受けたのである。「弁護」したのであって、「擁護」したのではないのである。
 木村洋二の文が不快なのは、そもそも、このように、知的に劣悪なことである。


四 よくある木村洋二の、部落解放運動への中傷  ―『書評』№123の問題  


 木村洋二は、不躾にも、鹿川君になったり、キリスト教や仏教を分かりもしないで語っているが、それは、まことに不快なことだ。しかも、木村自体が、差別者の体質そのままなのだ。編集者や吉田編集委員長は、よく平気だと思う。
 木村洋二は、「権利」は「利権」だと書いている。これは、部落解放運動に対して、投げかけられていた。今まで、差別していた相手が、助成金で家を改築したり、差別していた地域が、助成で若干整備されたりすると、凄い反発が起こった。これは、日本に限ったことではない。アメリカでも、大学入学にマイノリティーに対する優遇措置が執られると、逆差別との訴訟まで行われた。
 国会で、日本共産党を代表した代議士が、同和改良住宅の写真を掲げて、差別質問したこともあった。
 木村洋二の、「権利」と「利権」の言い方は、約30年前の日本共産党の差別のやり口だ。この木村の文が掲載されたとき、吉田永宏は、関西大学人権問題研究室室長だった筈だ。自分たちの仕事に匕首を突きつけられていたことになる。解放のための運動を利権あさりとすることは、明らかに差別を助長するものだ。関西大学生活協同組合『書評』№123は、明らかに差別文書だった。この差別文書の頒布責任者は、関西大学人権問題研究室室長吉田永宏だった筈だ。
 研究員には、上田誉志美文学部教授、吉田徳夫法学部教授などもいた筈だ。私は、以前に、作家金石範が解放同盟の糾弾闘争の意義を語ったことを紹介したことがある。人権問題研究室のスタッフなら、そのことの意義は判っている筈だ。判らないのは、職務怠慢で、しかも解放教育という課題の中でも怠慢は、結果として差別に荷担しているのだということを教員のなかでも最初に自覚しなければならない立場にいると考えるのである。
 差別される者は、傷み、時には腐敗すると金石範は言った。差別される者がである。それに対して、差別する者は、何の痛痒も感じないのだ。解放運動?利権屋のやることだ、と言うことが、どれほど解放運動をやる者、被差別部落の人を傷つけるか、深刻な傷を負わせているか、木村や『書評』編集者は自覚がないのである。その問題に取り組むことを、職務として就任している上田誉志美とか吉田徳夫も職務怠慢であるが、あろうことか、吉田永宏に至っては、室長でありながら、差別文書を頒布しているのである。

№123についての箸休め
  木村洋二の不快な文とそれに対する、編集者、編集委員長の愚鈍な様をみていると、次の仲井徳「本のいろいろ⑰関大図書館―七書―」のような文など、お馬鹿なだけで、可愛らしいもののように思う。趣旨が違うことなので、同時に掲載するのも変であるが、たまたま、同じ№123にあった文で、知らないふりをするのもと思い、付け加えておく。
 箸休めなどとしたが、「惨状」の追加というべきかも知れない。こんなアホな文が堂々と印刷されていることなど決して良いことではないのである。書いている者とか、編集している者が、判っていないのだったら、言ってやらないといけないのだろう。どこかで木村の酷い文章と連携しているのかとも思う。仲井の文は、次のように始まる。

ある意味徳川家康は偉い。豊臣秀吉が検地・刀狩り・楽市楽座等次々と新機軸を打ち出したのに比べて、関が原の闘いが終わったときこの国の政治は武力でなく学問で、文治主義でやっていこうと決めた。慶長元和の厭武である。

 楽市・楽座令は、秀吉というより織田信長の政策として有名だが、その元は、近江の六角氏のような戦国大名今川氏真などが行っていた、いわば人々の自立的結合を解体する政策である。仲井や《M》は、こんな文章を誰に読ませるつまりなのだろうか。
 「慶長元和の武」などという言い方はない。「元和武」だろう。大坂夏の陣が終わり、豊臣氏が滅亡し、2ヶ月後、「元和」と改元した。豊臣氏滅亡と改元は、密接な関係があるのだから、「慶長元和の」という言い方は変である。が、「厭武」などと平気で書くのも変。というより恥ずかしい。さらには、その後、旧豊臣系をはじめとする大名に対する粛清が続く。とても「文治主義」などと言えたものではない。高校日本史教科書でも、「文治政治」というのは、第4代将軍家綱から第7代将軍家継の治世のこととなっている。
 木村の文の罪に比べれば軽いとはいえ、恥ずかしいこと限りない。仲井徳も、勉強もしないで書くのは、止めておくべきだと思う。


関西大学生協『書評』の惨状③終わり