「庶民感覚で判断を」の不気味さ……毎日新聞のバックナンバー

 日本国家主義者たちの朝日新聞批判には、決して与したくないが、朝日新聞の「民意」煽りは、日本のジャーナリズムが根本的な未熟さを、未だに克服できていないという情けない状態である。
 前に、鳥越俊太郎が、朝日新聞9月19日朝刊の社説で批判の的になっていたことを問題にしていたことがあった。「鳥越俊太郎・ニュースの匠 『市民の力』は正しいか」(2010年10月4日朝刊7頁)である。
 ところが実は、毎日新聞2010年4月28日(水)夕刊(大阪本社)に、「庶民感覚で判断を」「鳩山、小沢氏への議決評価」「検察審査員経験者」という見出しの記事があった。そのリード文には、

小沢一郎民主党幹事長の政治資金規正法違反事件で、「市民目線からは許し難い」として小沢氏を起訴すべきだと27日に議決した検察審査会

とある。「市民目線では許し難い、…起訴すべきだ」とは、二重に意味がわからない。「市民目線」とは何を言うのか、本当に「良識」を想起するだろうか。「欲望」「やっかみ」「しっと」「蔑視」「偏見」は無視できない。記事の最初から、「小沢氏と秘書は『親分と子分の関係』…」という観念から始まっている。
 また、「司法の本当の役割は真実を明らかにすること。有罪、無罪を決めるのは検察じゃない」。その思いから、「評価する」にかかるのかどうか、毎日新聞の記事の文はよくわからない。しかし、「司法の本当の役割は真実を明らかにすること」というのは間違っている。有罪かどうか判断の手続きをすることである。真実を明らかにすることだと、傲慢になってもいけないし、妄想をもってもいけない。
 真実をあきらかにすること、だと間違って思っているから、「起訴」を気楽に考えているのか。どれほど、人権が侵害され、結果、国益も損なわれていることが判らないのだろうか。
 とにかく、朝日新聞の法的リテラシーもひどいが、毎日新聞も負けてはいない(読売・産経は論外だ)。
 鳥越の「ニュースの匠」が載ったのは9月19日だったが、毎日新聞2010年10月8日(金)夕刊(大阪)は「検察審批判はおごり」「審査員経験者 公正な判断強調」という大きな見出しの記事を載せている。
 さきの記事にも、毎日新聞は、本最高検検事土本武司の談話を「危ういところもある」という見出しをつけて、逃げ道をつくっているが、この記事も「政治資金規正法は抜け道が多く、小沢氏は無罪だろう。その時、誰がどう責任をとるのか」と懸念する、という意見を申し訳のように付けて逃げ道を作っている。
 これは、「庶民」の賤しい感情を煽るだけ煽って、自分は逃げる卑しい手口だ。
 刑事司法というのは、本来、感情によるリンチになりかねないものを、手続きで規制してきたものだという、法学部へ入れば、誰しも、最初に勉強する筈のことが、抜けてしまっている。尤も、弁護士橋下徹は、法学部には入学していない。
 全く、知的に劣等国家の、劣等ジャーナリズムと言わざるを得ない。古新聞が目に入ったので、メモ変わりである。