「オマージュ」と第55回読売文学賞

 石原千秋は、漱石三四郎』についての同時代評として、いわば門人の小宮豊隆森田草平の評を紹介するにあたって「…小説に限らず、何かを論じるときにはほとんどの場合オマージュでなければいいものはできない。批判的な姿勢で論じてなおかつみごとな評論になるのは、論者と論じる対象の両方がよほどすぐれている場合だけである」(石原『漱石はどう読まれてきたか』p.43新潮選書2010/5)と述べる。なるほど、と思うが、自然主義文学を奉じていた論者が至らなくて、門人の小宮・森田の評を挙げた感慨だろう。
 しかし、オマージュにしても、論者と論じる対象の両方がよほどすぐれていないと、美事な評論にはなり得ないのである。
 漱石や鴎外を論難するのは、その両者の力量が知られてきた現代では、かなり難しい。谷沢永一が、鴎外を揶揄するのは、鴎外の力量を把握していないが故の、いわば「素人」による、遠くからの、それこそ「紙つぶて」である。谷沢が、自負する代表作『文豪たちの大喧嘩』の惨めさは、巻末につけたコラム風の谷沢流と称する人名コメントをみれば、わかることである。
 その人名コメントで鴎外をけなすために書いたことは、谷沢自身が虚像であったことを衆目に晒す結果になっている。内藤湖南が、稀覯本蒐集家だったような書き方は、秋田県の鹿角の地に詫びに行って貰わないといけない。本人がもういないのだったら、愚劣な本人を煽った人たちは、まだ沢山健在だろう。
 漱石全集第二十八巻の月報29(1999-3)には、森まゆみ千駄木漱石・鴎外」という3頁のエッセーがある。その小篇に表れる鴎外像は、2004年の第55回読売文学賞(研究・翻訳賞)受賞作『文豪たちの大喧嘩』で、谷沢によってでっち上げられた鴎外像などを一瞬で駆逐するものである。
 選考委員は、井上ひさし大岡信岡野弘彦・川村二郎・川本三郎・菅野昭正・河野多惠子津島佑子・富岡多惠子・丸谷才一山崎正和となっている。6部門となっていて、とくに担当は決まってはいないのだろうが、個人的なつながりもある丸谷才一山崎正和が関与していることは否定されていない。山崎正和など関西大学で同僚であったこともある。丸谷・山崎が平気で谷沢著の宣伝に係わっていることをみれば、そのような個人的な関係からの受賞かと誰でも思うことであるが、誰も問題にはしない。読売文学賞自体が、そのようないかがわしいものだと思っているからだろう。そういうことに平気な他の審査員文学者もあまり信頼できないようで、それぞれ、才能の無いというわけでもない方々ばかりなのに残念である。
 そういう個人的情実にかかわらず、谷沢の”研究書”はすばらしいんだ、と仰るのなら、それはもう何をかいわんや、である。
 とにかく、関心がなかったとはいえ、何年も前のことである。日本の文学の駄目なところを、今更ながらに、まざまざと見せつけられたような気分である。
 石原は、「オマージュでなければ」というが、実は、みんなオマージュに値するものの出現を待ち、オマージュに値するものが創られるのを期待しているのである。「批判」はその過程でもあるのである。