「京都地検の女」2時間スペシャル(2012/07/05放映)の支離滅裂

 テレ朝系木曜8時に再スタート(2012/07/05)の、お宮さん(渡瀬恒彦)まで登場するという予告があった「京都地検の女」2時間スペシャルは、拙かった。最後まで、見届けられなかった。
 テーマが、検察批判になっているが、問題が分かっていないので脚本がぎこちない。「主婦の勘!」がキャッチ・フレーズのようだが、主婦の勘で察知するのは、亭主の浮気が相場だろう。そんな主婦の勘をもって、起訴したり、公判で有罪を立証する検事の得意技とするのはいかがなものか。「京都地検の女」という番組のコンセプトの根本的欠陥がここにある。裁判員裁判検察審査会で、「一般人の感覚」を「民意」というような虚飾の用語をつかって、合理的判断を阻却して、歴史的に築かれてきた「筈」の刑事司法を、一挙に「リンチ裁判」に逆転させている現代刑事司法を象徴しているかのような「主婦の勘!」は、即刻廃止していただきたい。あえていえば、現実生活を営んでいるものだからこそ、主張できる「合理的な思考」のつもりだったのだろう。比重は、仕事のルーティンで硬直した不合理な「カン」ではなく、「合理的な推論」のつもりだったのだろう。そうなのなら、そうしないと、決して知的でもない役者が、「ぶっている」のは気になる。つまり、知識人でないものが、知識人のつもりになって、大変なクニになってしまっている自覚が、脚本家以下のスタッフに無いのである。
 脚本家以下のドラマ作り参加しているチームの、言葉の知らなさ、問題についての無知がある。
 起訴されたものの有罪率99.9%をさかんに問題にしている。だから、起訴されたら、もう有罪と同じで世間のバッシングを受けると問題をたてる。ところがドラマでは、起訴されなかった家の人間がバッシングをうけたと大騒ぎして、検事を襲ったりしている。話のストーリーがなっていない。起訴を問題にしながら、起訴をしなかったのを怨んでいるのである。書いていて、演出していて、出演していておかしくないのかと思う。
 さらに、起訴した事件の有罪率が高いというのは、それだけ、起訴するのをぎりぎりに絞っているのである。不十分な証拠、公判を維持できない証拠で起訴などできるはずがない。検事は起訴して無罪だったら、成績が下がるから起訴を控えるなどと下司の勘ぐりを口にする下司は一人二人ではない。証拠も充分でない者を、検察審査会で裁判にかけろとする、「疑惑」の弁護士は少なくない。橋下大阪市長は、そのような「疑惑」の、つまり法律を知らない弁護士の最たるものだ。
 そのような無知蒙昧の混濁したものをドラマ仕立てしたしたものだった。最後までみられるわけがない。