毎日新聞は死にました……岩見隆夫の「近聞遠見」の醜悪

 毎日新聞7月6日(土)朝刊10面、岩見隆夫「近聞遠見」がある。岩見は。「『国破れて憲法残る』では」などと、全く惚けている。こんな惚けた文を載せる毎日新聞の劣化には、今更!という気もする。
 憲法は、国民がよってたつものだ。敗戦から、なんとか、進もうとした基本だ、それが毀れたら、それは、国が毀れたと同然である。軍備増強した国など、誰が考えたか、それは、もう自分たちの国ではないのである。それは、愛する自分の「国」ではないのだ。あったとしてもである。岩見隆夫がジャーナリストだったら、当時は少年であっても、人様に文を読ませるのだったら、日本帝国がどんな状態だったかを知らなくてはならない。国家予算の6割を越えて軍事費が占めている筈である。これは、とっくに毀れているのである。
 ロンドン軍縮会議は、列強の悲鳴を集めたものだ。日本のまだ理性がある人もそうだ。軍縮をやらないと、東北では餓死者が増えているのだ。娘の身売りも進んでいるのだ。これを、国が毀れていないと言えるか。
 毎日新聞は、なんと言ったか、軍縮会議に悪態を浴びせなかったか、統帥権干犯だと言わなかったか。そのころは、まだ、朝日新聞は、統帥権干犯攻撃を批判していた。しかし、購買数が落ちてきた満州事変の前あたりから、軍部に対して批判的でなくなっていた。この問題は、半藤一利の追求してきた文を読んでほしい。岩見隆夫は、いわば、そういう人たちの文も読んではいないのだろうか。
 日本国憲法第9条は、かつて、1928年に締結され、最初に調印した15ヵ国に日本の名もあるパリ不戦条約の延長にあることは、日本の政治家は、みんな知っていた筈である。知っていたというより前提でる。吉田茂の答弁も芦田均の答弁も、パリ不戦条約を前提としていた。
 最初に15ヵ国に名を連ねるのは、日本の誇りである。
 しかし、「国際紛争解決の手段として戦争に訴えない」ことを誓った不戦条約を破ったのは、1931年の日本である。
 岩見隆夫は、ご丁寧にも、戦中戦後、旧満州にいたと書いている。ソ連軍が満州に入ってきたことを、そして、その先導が、中国共産軍だったと書いている。岩見は、ソ連軍と中国共産軍を非難しているのである。あげく、戦争はやる以上勝たないといけないと言っている。
 毎日新聞は、こんな耄碌の兆候歴然とした文をよくも載せたものだと思う。數少ない購読者をバカにしているのか。
 岩見隆夫が、旧満州にどうしていたのか。中国共産軍にすれば、旧満州は、自分の国ではないか。岩見がいたのは、満州國ができたあとだろう。侵略者としていたという自覚は全くない。戦後、一貫して、岩見は、満州事変後に、つまり侵略後に、当地にいたことに対して無自覚だったのか。これが、毎日新聞を代表するライターだったのか。
 岩見がすべきことは、「満蒙は日本の生命線」と、それほども思ってもいなかった国民を、他の新聞に先駆けて煽ってきた毎日新聞の人間としての反省である。
 それよりも「国が大事!」なのか、岩見隆夫老にしたら。いや、毎日新聞も。