関西大学「法学部教授」吉田徳夫のとんでもない「指導」  …………… 母校関西大学法学部を憂う

一 朝比奈修「大行院文書からみた『鳴物停止令』」(『関西大学法学論集』61-6、平成24年3月)の問題

 1年ほど前(平成24年3月)、母校関西大学の『法学論集』61巻第6号に、表題のような論文が掲載されたとあった。最近、インターネットで公開されたので、見ることができるようになった。みたところ、非常に分かり難い。どうしてかと思うと、論者の主題というか、主張がはっきりしないのが理由でないかと思った。しかし、最後に、何か結論めいたことは書いてある。そこへたどりつくまでの論理も根拠もないのである。その上、その結論めいたことが、甚だ、非論理なものなのである。かかるものが、関西大学法学部の紀要たる『法学論集』に掲載されるのか甚だ不可解なのである。

その一、副題の問題
 副題が「−大行院文書「解題」に代えて−」とある。もともとは「解題」を書いていたつもりが、「論文」に「格上げ」になったのだろうと思う。それとも、そもそも「解題」なのですよ、だいそれたことなどは書いていませんから、というほどの謙虚表現なのだろうか。
 ところが、序文にあたる「はじめに」で、「この文書は……」で始まっている。大行院文書について、書き始めた痕跡か。タイトルは「鳴物停止令」である。であるなら、「鳴物停止令」という主題について述べるように書き改めるべきであろう。
 「はじめに」では、「したがって、ここに含まれる情報は多岐にわたっており、山伏の婚姻や養子縁組等………、なかでも近年論じられる機会が多い「鳴物停止令」に関連した記述に注目すべき論点があると思われる」とする。何が注目されると「思われる」と思うのか。「はじめに」では、どうして、その主題にしたのかを書くべきだろう。そもそも何を書こうとしたのか、書き手の意思、意欲が書いていないのである。書き手の意思が見当たらない文は奇妙としか言いようが無い。なお、大業院文書についての全体像をあきらかにするのは、今後の課題にしたとあるのを見ると、やはり、当初は、文書の解説を目論んでいたようである。「鳴物停止令」についての論説とした筈のものに、どうして、ぐずぐずと「解題」が副題にも「はじめに」にもついてまわるのか。
 これは、著者(朝比奈)の意識としては、いぜんとして「解題」にあって、「鳴物停止令」については、書くだけの主題を得てはいなかったのではないか。 

その二、「鳴物停止令」を何と考えているのか、あるいは、なぜ「鳴物停止令」について書こうと思ったのか
 『法学論集』掲載の文に、このようなことを聞かないといけないのは、辛いことである。「はじめに」にも、著者が、なぜ鳴物停止令をとりあげて論じようとしたかが出てこない。「注目すべき論点」があると「思われる」とする。それだけで書いてみるのか。
 だから、次の節「一 「鳴物停止令」に関する研究の整理」がわからない。
 黒田日出男・林紀昭・林由紀子・村田路人・中川学・大平聡の研究を並べ、おおく断定的な評価を下しているが、奇妙にもいかなる観点からの評価であるのか全くわからない。ただ、ほとんど文句がついていないのが黒田日出男のものであり、黒田が「鳴物停止令」を「天下蝕穢」と関係することを示唆し、明治の国家体制と関連づけていることを評価しているようである。
 どうやら、その観点から諸氏の研究に否定的評価をしているようであるが、「天下蝕穢」「鳴物停止令」を結びつける論理も事実もないのである。

その三、「鳴物停止令」なる一般法か特別法が存在するのか
 この論文は、「四 『鳴物停止令』の意義」という節で、「先述した中川に限らず、ほとんどの研究者が『鳴物停止令』が出される前提条件を『為政者の死』に限定しているようであるが、本当にそういえるのであろうか」と新知見を披露せんとしている。史料〔二二八〕は、「為政者の死」ではなく、「為政者の病」の段階でのお触れであるとし、「これは内容的にみて明らかに『鳴物停止令』に準じる」ものだとする。
 また、尼崎藩の城下町で、修験道寺院が厄除祈祷を行う際の興業許可願いに「軽わざ・鳴物差加」とあるのを、「平時であるにもかかわらず明らかに『鳴物停止令』が意識されている」とする。「平時である……」とべつのところでも書いているが、何を考えているのか。要するに、祈祷を行い興業もやるのでお騒がせします、に過ぎない。なにか「鳴物停止令」という一般的な、あるいは特別の法規範があるわけではない。
 「鳴物停止令」と言っているが、そのような言い方はどこで始まったのか。石井良助・服藤弘司編『幕末御触書集成』第二巻も「御法事并鳴物停止御機嫌伺等之部」としているにすぎない。基本的には、喪に服していることを表明する、その一つの表現である。そこにそれぞれの関係が現るのである。それが法なのである。したがって、君主の病が重篤であるなら、祈祷があるように、音曲などで騒ぐなというのは、表現としては似ていても、喪に服する礼表現としての鳴物停止とは別物で、一般化しては意味が無くなる。
 だから、先の御触書集成にも、法事であるから、停止に及ばずという触がいくつも集められているのは、喪と厳格な関係があるからなのである。この論文が、治安維持のためのご都合主義的な法令と解釈しているのは、「お触れ」をきちんと読むこともしなければ理解もしていないということである。
 主君の喪に服する表現ということであれば、これは、お家の法秩序の表現である。論文は、「幕府法秩序(国法秩序)」と書いている。無知としか言いようがない。

その四、「近世の王法たる幕府法は仏法を凌駕した」という間違い
 「この『鳴物停止令』をイデオロギー的に継承した明治政府が『国家神道』によって『臣民』の宗教生活を束縛したことに象徴されるように、近世の王法たる幕府法は仏法を凌駕したのである」とする。こんな粗雑な結論文はちょっとあり得ない。
 1.「鳴物停止令」をイデオロギー的にどう継承したか?
 2.「国家神道」の実態は?つまり、例えば、熱狂的な神道主義者たちの運動で、江戸時代の寺請制度と奪取しようと氏子調べを始めたが、2年で挫折したのである。神祇官太政官下の神祇省に格下げされ、やがて神祇省も廃止され教部省になり、大教宣布のための機関になった。やがて神職と僧尼が奉仕する神仏合併布教が全国的に実施されることになる。つまり、国家神道などといえば、すぐに出来たように思っているのかも知れないが、教義の体系化も不十分であったのである。
 3. 近世の王法が幕府法などと、どこで思い込んだのか?
 おそらく、聞き覚えの聖と俗の対比のイメージで言っていることではないかと思う。つまり、世俗法に対して宗教法くらいの意味なのだろう。じゃあ、凌駕された仏法って何?それより、幕府法というのは何か。70頁に、聞きかじりを書いているけど、先に触れたように、書いている「国法秩序」の意味も判ってはいないのではないか。

二 吉田徳夫教授の数々のご教示の結果か
1 文章のスタイルも整っていない
 かくも凄まじいものが、よくも『法学論集』にあらわれたものである。しかし、これに劣らぬ凄まじいものは、かつて、本欄でみた『法学論集』ではなかったかも知れないが、角田猛之の「神権天皇制」という観念の化け物があった。実際、現在の首相の安部晋三などをみていると、「神権天皇制」なるものがあったのか、と思ってしまいかねない。明治の憲法も実はもっと合理的なものだったのだということを理解しないとますますとんでもないことに馴れてしまいかねないのである。安倍晋三が如何に異常であるかが判らないのである、角田の神権天皇制論は、根拠もない異常なものなのである。
 朝比奈の名で掲載された論文の最後に、大行院文書の発見から、考察を展開する上で数々の教示を吉田徳夫教授から受けたと記してある。
 すると、吉田徳夫の教示のもとに、書いたものを、吉田徳夫がチェックしたということになる。ふつう、他人が書いたものを見ていくと、論旨がはっきりしないものや、素朴な間違いなどに気が付くことがある。わずか、17頁ほどの文章である。これほどの問題が残されている(実は、もっとある)のは、朝比奈が書いたものというより、吉田が指嗾してできたものを、吉田がチェックしたことになっているのではないか。だから、チェックが無いのに等しくなったいるのではないかと思えば理解できる。
 だから、已然として、「解題」として書いていた文の痕跡がみえるところが、朝比奈の抵抗とも言えるところか、と思いたくなるような状態である。どんな事情があるのか分からないが、このような朝比奈の名で論文を出していたら、あとがないではないか。それとも、朝比奈も、徳川将軍が国王だと思っていたのだろうか。
 
2. 法律学の基礎概念も社会科学の基礎概念も理解しえない吉田教授の「指導」
 A 
 鳴物停止が、決して一般的な社会の静謐を保つための規定ではなく、喪に服する表現であることは、誰でも判る。そして、それが支配関係の表現である。それが判らないのが奇妙である。喪に服するということが判らないのかも知れない。
 これでは、もう言いようがない。
 吉田は、社会を分析する学術的表現、社会科学上の概念が判らないようである。だから、喪に服する表現としての鳴物停止を病気が重篤であるから、静謐にしろという鳴物停止を同じものだとも思ってしまうのである。
 伝統的支配が行われている社会を吉田は「伝統社会」と呼んで気にならない。伝統的支配というのは、支配関係のいわば綿密に理念化された表現である。古典芸能を伝授するような社会の表現ではないのである。どうも、吉田には、そういう社会科学的感覚が欠如しているようである。
 問題は、本人に自覚のないまま、他に「指導」を行うことである。その結果が朝比奈名の論文である。
 繰り返すと「幕府法秩序(国法秩序」」と書いている。確かに、戦国時代の武家の家法は、近世の家法との連続性ももち、分国法とも称される。本質的には、お家の法、家父長的支配の法である。徳川時代の中期以降、家支配を越える社会への動きが出て来る。いわば日本のナショナリズムである。その過程で、徳川家は覇者であることが強調認識されてくる。「尊王」を徳川家を差していると思う者はまずいないだろう。司馬遼太郎の作品に『覇王の家』というのがある。これは覇者のことである。このようなことは、常識レベルのことで、議論の余地は無い。「近世の王法たる幕府法」など無知のだめ押しである。
 これは、同人誌に朝比奈に書かせたのであれば、勝手にしろで済む。本当はよく無いことであるが。しかし、法学部の紀要に書かせたとあっては問題である。何よりも、吉田がそう思っていて、朝比奈が従っているのである。
 そういう無知蒙昧が、法学部などの教室で炸裂している可能性が高いのである。
B
 吉田のとんでもないことは、かねてから、外部の者にも目についた筈である。一例をあげれば、『関西大学法学論集』53-6、(2004-2)に掲載された吉田徳夫「法制史上よりみた部落問題」はデジタル配信されている。奈良地裁で陳述した内容だそうである。誰がみてもすぐに変だと思うのは、「予審裁判所」とか「予審判決」などが頻出することである。そのようなものは、かつて存在したことが無いのである。予審というのは、起訴前に、予審判事が行う、問題をいろいろ指摘されてもいて有名な手続きである。ボワソナードが係わった治罪法以来の制度である。
 吉田は、裁判とか訴訟や法についての基礎的な認識のないまま、井ヶ田良治『日本法社会史を拓く』(部落問題研究所2002)所収の論文などを読んで書いたのだろう。勿論、井ヶ田著には、そんな出鱈目は1箇所も無い。吉田は全く無知なのである。地裁で陳述したと聞いて驚く。『法学論集』に載せても平気なのは、本人が判らないからだろう。
 しかし、自覚のない無知が、指導や講義を行っているとすれば、これは大問題ではないか。
 吉田は、人権講座担当のスタッフのようである。人権は法律問題でもある。法学部教員としての要請に応えられないばかりか、虚偽を叙述し、とんでもない指導をしているのを放置しておくのは問題ではないか。
 吉田が人権講座、とくに部落問題担当として、その位置にいるのなら、その無知と傲慢は、あきらかに、差別解放の妨げになり、解放運動に敵対するものを利するばかりであるということを理解する必要がある。多くの若者が知的被害を被っているということを理解する必要がある。この度は、朝比奈もそれに加担したということなのだろう。