アジア諸国の人々への加害責任を本当は判っていなかった首相安倍晋三

一 戦争の悲惨も、戦争に対する責任も理解できない首相安倍晋三
 8月15日の夕刊が1993年の細川護煕首相以来、踏襲されてきたアジア諸国の戦争犠牲者に対する加害責任に明確に触れなかったと伝えている。
 6年前の式辞では「アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」と述べていたそうである。6年前は、原稿にあって、そういうものだと言うことで原稿どおり読んだが、本当に思っていたわけではないので、今回言わなかったのだろう。
 歴史的にはそう評判がよくもない祖父を異常に尊敬し、原稿をまる読みする様は、北朝鮮世襲最高指導者そっくりである。
 問題は、意識的に加害責任を触れなかったことである。つまり、責任があると思っていないということである。責任など無いと思っているとしか思え無い。
 安倍晋三という男は、戦争の悲惨さ、不合理さを全く判っていないとしか思え無い。だから責任などに思考が及ばないのだろう。このような人物では、日本という国家は危機的ではないか。

二 そういう惨苦もそれについての責任も判らぬ者が、「道徳教育」を唱えることができるのか。 
 まだ、毀れて危険な状態にある自国の原発からの流れ出る汚染水の処理も出来ない技術のまま、首相の安倍晋三はビジネスに回っていた。それを「トップ・ビジネス」として報道するテレビも新聞の批判的なニュアンスはなかった。
 この国はどこまで毀れているのかと思う。
 道徳というのなら、自らが行わないと教育にも何もならないじゃないか。
 高架の下の歩道に「自転車は下車して歩行しましょう」と警察の看板が出ている歩道を、自転車に乗った母親が、自転車に乗った子どもを引き連れて走って行く。母親が、反道徳教育している。日常的に。50年よりもっと前、小学校で、親のための講演会や講習会が頻繁に行われていた。
 先生も国民も、一所懸命で謙虚だった。それが、本当の道徳教育だった。
 米軍に風俗利用を提案して、辟易させた橋下や、橋下に言われて、君が代を本当にうたっているか監視していた、公募「校長」、道徳教育が受けられるだけの常識的感覚が備わっているのかと思う。
 全国の教員養成系大学、学部も相当傷んでいるのではないかと思う。