まずはおめでとう!田中将大投手!


 2013年のプロ野球日本シリーズの最後は、星野仙一の筋書きどおり、田中の完投勝利で終わるのかと思ったら、とんでもない盛り上がりがまっていた。あの田中が、4点も献上したあげく、160球も投げ抜いて負け投手になった。
 負けたことのない田中の敗戦でどうなることかと思ったら、田中から4点とることで精一杯やり尽くしたジャイアンツ打線だったのか、勿論、第三戦でも、あれだけ好投した美馬である、美馬を攻略する宿題など何も出来ていないジャイアンツ打線は、第三戦を上回るピッチングをする美馬に何もできなかった。一年目の則本が7回8回の2イニングスを押さえると、また田中が登場(登板というより)し、いよいよ盛り上がった。セレモニーのテレビ放送をみると楽天カラーのレーン・コートを着たオッサンが涙している姿が何度も写った。きっと多くの人がもらい泣きをしたことだろう。
 田中は、前夜の落とし前をつけているようにも思った。半端な姿を最後の自分の姿にしたくないという気持ちがあったのだろうか。おとしまえをつけとくぞ!というような田中のピッチングだった。


 2006年夏の甲子園では、駒大苫小牧高校の田中は体調不良だったそうだが、決勝へ進出、その再試合を行い、早実斎藤佑樹と投げ合い話題になった。
 斎藤佑樹がその前日のインタビューで「田中はふつうの高校生のピッチャーではないのだから」と言っていたのが印象的だった。あの良い子風のハンカチ王子が「田中君」などと言わずに「田中」と言っていた。駒大苫小牧が優勝した前年の神宮大会の準決勝でも対戦しており、そのころの実感を口にしながらも、あえて「田中」と敬称抜きに話しているのは、その容姿と異なる闘志をみたような気になった。
 体調不良の田中ではなく、ハンカチ王子斎藤佑樹が酸素テントをベンチに用意している話が伝えられた。いわば手負いの田中に斎藤佑樹はいっぱいいっぱいだったのである。
 これはニュースか特集で見た映像だったか、最後の打者になる田中がバットを握って少し縦に振るとき、にやりとしたのである。夏の全国高校野球選手権大会の最後の最後で田中は不敵な笑みを浮かべた。後の話で田中は、別に意味は無く「こういう巡り合わせか」と思ったそうである。思ったら笑みが出たようだ。意識して、無理に笑ったわけではない。結果は、「田中」と「君」などつけない斎藤佑樹の闘志が勝(まさ)ったのだろう。


 そのハンカチ王子マー君の年のオフ、桂三枝(当時)と星野仙一が週刊誌か新聞紙上で対談していた。三枝が星野に「残念ですね、ハンカチ王子が早稲田に進学して」と言った。星野はすぐに「何を言っているんですか、(プロに入る)田中君は、(早大進学のハンカチ王子とは)全然ものが違いますよ」と言った。憤然としているようだった。
 その田中がいる楽天の監督に星野がなったのは、2010年のことだった。2011年は、星野・楽天の最初のシーズンであった。その3月15日、東日本大震災が発生したのだった。