捧堅二「共和主義の政治哲学」〈『ライン新聞』時代1842〜43〉・荒川幸也「マルクスのヘーゲル批判と反ドグマ主義〈『ヘーゲル国法論批判』1843〉(『季報・唯物論研究』124号2013/8)について

 
 『季報唯物論研究』124号が8月に刊行され、「マルクスを読むPart 2」(Part 1は120号)という特集が組まれていた。特集の趣旨文(田畑)には、意欲的な姿勢が述べてあった。
 内容は、マルクスの執筆順になっていて、『デモクリトスエピクロスの自然哲学の差異』(内田弘)、『ライン新聞』論説(捧堅二)、『ヘーゲル国法論批判』(荒川幸也)、『ユダヤ人問題に寄せて』(細川和之)のような順で、10の論考が掲載されていて、いずれも趣旨文の要請に答えた力編である。
 捧堅二「共和主義の政治哲学」というライン新聞での論説を扱った論考と荒川幸也「マルクスヘーゲル批判と反ドグマ主義」という「ヘーゲル国法論批判」をあつかった論考について感想を試みたい。


 捧「共和主義の政治哲学」は、ライン新聞時代の若きマルクスの思想そのものを探求し、この時期のマルクスの政治思想を国家観を中心にあきらかにしようとしたものである。そして、1843年のルーゲ宛の手紙に基づいて、「共和主義者」であったと述べる。しかし、その立場は「ユダヤ人問題によせて」「ヘーゲル法哲学批判序説」などにみられるように維持されなかったとする。ライン新聞時代を特別な時期として捉えた意欲的な論考である。
 捧は「『ケルン新聞』第179号の社説」というライン新聞の記事(1842-7)を引用する。
 引用した文は、「真の太陽系についてのコペルニクスの偉大な発見がなされたのと同じ頃、それと前後して、国家の引力法則も発見された。その[国家の]重力[の法則]はそれ[国家]自体のなかに見出された。そして、さまざまなヨーロッパの政府が、実践のはじめにありがちな皮相なやり方でこの結論を適用して、諸国家の均衡の体系をつくろうとしたように、早くはマキャヴェッリ、カンパネラ、のちにはホッブズスピノザフーゴー・グロティウスからさらにルソー、フィヒテヘーゲルに至るまで、国家を人間の眼で考察して、神学からではなく、理性と経験からその自然法則を展開しはじめた」というものである。
 捧は「ここで『その[国家の]重力[の法則]』は『国家そのもののなか』に見出すべきだということは、国家を自律的な対象として、非還元的に把握すべきだということである」と解釈している。捧は「見出すべきだ」と言っていると解釈したが、ライン新聞の記事では、「国家の引力法則も発見された」あるいは「見出された」と、明らかにイロニーの表現になっている。
 さらに、「そして、さまざまなヨーロッパの政府が、実践のはじめにありがちな皮相なやり方でこの結論を適用」した、ともする。
 捧が続いて引用している叙述は、「皮相なやり方でこの結論を適用」したことの綻び乃至は破綻を述べているようである。つまり、すぐ綻びがあらわれる観念を「発見」しただけなのである。
 捧が対象にしている時期もやはりマルクスは、現実の問題を分析することからはじめるべきで、なんらかの決まったものを対置すべきではないと言っている(「『イカリア旅行記』といったような、なんらかの体系をできあがったものとして、それに対置すべきではない」s.344)。
 だから、捧論文のタイトルにもある「共和主義」も、プロイセン君主制専制政治を批判する、あるいは分析するものとして言っており、決して体系的にもスローガンとしても使用してはいないのではないか。「われわれの批判を、政治の批判に、政治における党派への加担に、それゆえ現実の闘争に、関係づけることは、なんらさしつかえないことである。その場合われわれは、ここに真理がある、ここでひざまづけというふうに、新しい原理をふりかざして空論的にたちむかうことはしない」(s.354花田圭介訳)と述べる。
 気になることの1つに捧が紹介しているところの「もし強制国家(Zwangsstaat)が誠実であろうとするならば、それは自らを止揚(aufheben)すべきであろう」(S.25)がある。確かにaufhebenは止揚と訳されようが、意味が判らない。現実性は無いにしても、やはり「廃止」に近い意義で考えられるべきではないかと思う。「止揚」と訳しても構わないが、捧が強調するような特別の意義は考えられない。

 
 荒川「マルクスヘーゲル批判と反ドグマ主義」も、掲載のためにコンパクトにされた論考であろうが、明晰である。叙述は、タイトルとは逆に、反ドグマ主義を述べてヘーゲル批判になっている。
 荒川は、フォイエルバッハが「改革的批判の方法」と称する述語を主語に転倒させるという方法で、マルクスは、ヘーゲル国法論批判を開始し、その上で、政治的国家という理念と家族と市民社会という現実の転倒の正当性を証明しているとする。斯くしてドグマ主義からも脱却できる。節題の順序の意味が理解できる。
 荒川は、「マルクスは、ドグマ主義に陥らないために『世界をドグマ的に予想しないで古い世界の批判の中からはじめて新たな世界を見い出そうと』したのである」とする。
 しかし、「その格好の材料となったのが、ヘーゲル法哲学であった。なぜなら、ヘーゲル法哲学は近代国家のありのままを写し出したものだったからである」と荒川が述べるのは気になる。
 ヘーゲル法哲学は、マルクスが国民的羞恥を覚えるプロイセン国家が前提である。いわば、近代社会としては遅れた社会の述語であるプロイセン国家である。その述語の述語がヘーゲル法哲学なのではないか。近代国家をありのまま写し出したものとはとても思えない。マルクスは、その現実に遅れた社会の述語の述語と格闘するはめになっていたではないか。