澤井繁男『若きマキアヴェリ』(東京新聞 2013年6月)

 
 10月8日に、関西大学生活協同組合『書評』№140に触れたとき、澤井繁男「若きマキャヴェリ」(『文学界』2012-7)の日本語表現には、気になるところがあることを書いた。
 それは、サヴォナローラからニッコロ・マキァヴェリ宛の手紙に出て来る「……余は毎日、翌日の説教の草稿執筆に余念がなかった」(本書なら84頁)という言い方である。「余念が無い」は「没頭している」あるいは「邪心が無い」状態を言うときの表現で、自分のことを語る言い方としての違和感であった。
 また、メディチ家のロレンツィーノがニッコロ・マキァヴェリに「……自分もサヴォナローラも、所詮、時代の申し子だということを、自戒をこめて君は知らしめてくれた」(本書なら108頁)と言っているところである。「時代の申し子」とは、時代が要請した存在だということで、自戒をこめなければならないことではない。ここでは、「一時期の人気者」くらいの意味で使いたかったのだろう。でも、「申し子」とは誤用で、「時代の徒花」くらいにすべきだったのではないか。
 いずれも、歴史的人物の手紙の言葉として、ちょっと重い表現を試みたようで、それが日本語としては違和感をもたらしている、あるいは間違えていることに気付かなかったのだろうか。
この手紙の文ではなく、地の文で「ニッコロが匙を投げてロレンツィーノが画策を委ねた人物の『参謀』役を担おうと決意した頃、サヴォナローラの運命は急速に転がりはじめていた」(本書なら109頁)とある。
 「匙を投げ」たのであれば、突き放して無関係になるだけである。「『参謀』役を担おうと決意した」のであれば、「匙を投げて」見捨てることにはならないであろう。「担おうと決意」したのであれば、「賽」を投げないといけないと思う。
 既に当該箇所の、本書における頁数を示しておいた。全く訂正はなされていない。本書の巻末に、『文學界』編集部、東京新聞出版部のスタッフの名前も挙げられている。これらの表現については、編集部や出版部の人たちも、とくに違和感を感じられなかったのは少し奇妙に思う。

 
 澤井は実績のある作家ではあるが、当初は歴史を題材にとったものを書いてもいないし、その気も無かったようである。
 創作活動と同様に、ルネサンス研究も自分の主要な活動としていることから、歴史、とくにルネサンス期を題材にした創作をはじめたそうである。翻訳の仕事も多く、イタリア語能力の高い人なのであろう。
 ところが、岩波ジュニア新書の【393】として書かれた『ルネサンス』の24頁に「ペトラルカははじめ法律の勉強をしていて、古代ローマの文献と出会うことになります。なぜ、法学か、と言いますと、古今東西を問わず、法律家は収入もよく、もし挫折しても、つぶしがきいて食いっぱぐれがなかったからです。ローマ法や教会法を研究するわけですが、その中心地は北イタリアのボローニャでした。ペトラルカはボローニャ大学でローマ法を学んでいます」とある。「つぶしがきいて食いっぱぐれがなかったからです」にはおそれいる。これは、かつての日本で 法学部志望の理由にあげられていたことである。アメリカで「つぶしがきくから」という理由でlaw schoolへ進む者はいないだろう。今の日本でもいないだろう。「法律家は収入もよく」とも言えない。
 澤井の文には、とんでもない俗説、迷信にも似た「見識」が混じるという問題がある。それがチェックされないのは何故なのだろうか。ローマ法を少しでも勉強すれば、ローマ法は、とても具体的でしかも合理的な結論を導き出したものの集積であることが分かる筈である。それは、支配とか統治にとっても必須のものなのである。合理的な思考法を学ぶのが法学なので、諸吏の生計を支える道具などでは無いというのも判る筈なのである。
 ルネサンス研究をしているという澤井にとって、ヨーロッパの歴史を理解する上で不可欠なローマ法についての凄まじい無理解は致命的である。それは、ルネサンス期を舞台とする創作においても同様である。

 
 本書の後半は「神の誘惑」という題で、トンマーゾ・カンパネッラという人物が主人公である。澤井の仕事にこのカンパネッラの著書の訳があるようで、そのような作業過程で、この創作のアイデアも熟したのであろう。
 154頁に、カンパネッラが異端審問官ピエトロ・ピニョーレに「お言葉ですが、宗教じたいがもともと心のありようを扱う非合理なものなのに、それを合理化して神学としたほうが奇怪に思います。……」という場面があるのは、唖然とする。唖然とするというのは、「宗教じたいが……非合理」だということが、キリスト教の最上級の知識人の会話として登場することである。尤も、我々、体系的な宗教になじみの無いところで生まれ育った者たちにとっては、宗教といえば呪いくらいの感覚しか無い。澤井のカンパネッラの発言はまさに、宗教はそもそも呪いなのだからというオカルトか土俗宗教の感覚による表現である。
 古代のヘブライ人が個々の利欲を越えた共通なるものを求め、確認したとき、大きな歴史的画期があったと考えるべきである。そのような神には、当然実体など無いのである。しかし、共通する規範を認識した者との間には、合理的な関係が生じるのである。その意味で、呪術的な、現世利益の宗教を脱した宗教は合理的なのである。
 澤井は、岩波ジュニア新書『ルネサンス』の12頁でも、本書200頁でも神は救けに来ない、と救けにくるもののように書いている。ヘブライ人の神は、現世利益の呪いの神では無いのである。
 現世利益の神々の世界から、共通する規範の世界への大きな変化を理解できないと、古代ユダヤ教キリスト教イスラーム教も理解出来ないのである。私たちは、ヨーロッパの文献によく出て来るゾロアスター教も、一連の呪いの宗教と思いがちである。澤井も『ルネサンス』で、無頓着に、「祭祀は火が中心で、拝火教とも呼ばれた」(54頁)と書いている。なぜ、『ツァラトゥストラはかく語りき』をはじめ、ゾロアスター教が出て来るのか。それは、人類が善と悪についての認識をつよめたことがゾロアスター教にみられるからである。古代ユダヤ教に先行する宗教なのである(旧名東洋工業といった自動車会社マツダのアルファベット表記がMAZDAというのがゾロアスター教の善神であるマヅダ神の表記に由来するMAZDAであったのである。勿論、マツダというのは東洋工業の事実上の創業者である松田重次郎からとったものだが、MATSUDAでもMATUDAでもなく、MAZDAとしたのは、アフラ・マズダーにちなんだ表記であることを私たち日本人はあまり知らないのも、私たちが宗教に対して疎いことを物語るものである)。

 
 「私は太陽を奉ずる。太陽こそ万物に光を賦与する神なのだ」(190頁)などとカンパネッラがどこかで言っているのだろうか。キリスト教の知識人がかかる実体的な神を想起するようなことがあると澤井は思っているのだろうか。出エジプト記において偶像崇拝は禁止されている。
 このようなキリスト教キリスト教知識人の登場するものを、ドストエフスキーを研究していると自認する関西大学で澤井の同僚になる近藤昌夫は気にならないのだろうか。本当は気になるから「言葉の祭壇画―錬金術師澤井の結晶」というタイトルで正面からとりあげるのを避けたのだろうか。
 そうだとするなら、澤井の怪しい宗教観、認識に触れることなく、学生が読むことを前提にした雑誌に誤魔化したような文を書くのは、教員としての職責を果たすことから迂回したこと、あるいは退去したことになってはいないか。