追悼 島倉千代子さん

 
 歌手の島倉千代子さんが、11月8日、肝臓がんのため東京都内の病院で亡くなったというニュースがあった。小学生のころ(50年代のおわり)、歌手といえば、島倉千代子だった。ラジオの時代だった。歌は「からたち日記」だった。代表作として紹介されるのは、別の歌が多いが、島倉節とも思う高音のビブラートがとくに印象的な歌だった。
 小学校5・6年の担任が、当時出始めたテレビで、歌謡曲の世界も少し変わりそうだと言っていた。ラジオの時代はほとんど声による勝負だったからである。男性歌手なら、三橋三智也の高音や春日八郎のすこし鼻にかかった声である。三波春夫は、もうテレビだった。浪曲師の経験もあるようで、独特のパフォーマンスも熟年の女性に人気があった実感がある。
 島倉千代子は微妙である。テレビの時代になっても大丈夫かなと気にする人もあった。それは、島倉千代子を思うからの話である。発売したレコード、CDの数はとても多い。  11月10日のサンデー・モーニング(TBS)で浅井愼平が、島倉千代子が女性の繊細な、か弱さのような面を象徴しているような言い方をしていた。それは、美空ひばりを対比したような言い方でもあった。
 先に触れた高音ビブラートのもたらすイメージを言っているのだろうか。
 あれは、いつごろの話だったか。週刊誌の広告に、「それでも、島倉千代子さんに会いに行きます」みたいな記事があった。「更正して、島倉千代子さんのショーを見に行きます」だったかもしれない。少年たちは、どうして島倉千代子に憧れるのか、というような副題があったようにも思う。
 多くの虞犯少年たちにとっては「姉」だったのか。

 二
 島倉千代子といえば、巨額の借金とその返済が、ちょっと半端ではない。その借金の理由が変わっている。結婚相手だった元阪神タイガース四番バッターだった藤本の後始末だったり、眼科医の男の後始末だったり、立場は逆でないかと思うほどの相手である。なんだか男が甘えてしまうようである。
 どうもか弱いとか、そんな印象ではない。巨額の借金を返済するような弱い女はいない。有名なのが2人いるだけで、他にもいたようである。美空ひばりに、人に実印をあずけちゃだめよと言われたらしい。
 
 
 軒上泊『九月の街』を寺山修司が脚色して東陽一がメガホンをとった映画『サード』の永島敏之の母親役が島倉千代子だった。高校野球部でサードをしていたので、少年院でサードと呼ばれる永島敏之の母親役としては、島倉千代子はぴったりだった。野球少年の母親として他に考えられない存在感があった。
 意表を突かれた思いのあるキャスティングだったが、理由のあることだったのである。その存在感とは別にというか、やはりというか、戦後の日本を代表する女性歌手として存在感は当然にそれとしてあり、今、二重の喪失感を味わっているところである。