野中広務は責任を取れ!

一 野中が公明党を隷属させた結果、「戦争の惨禍」への道が見えてきはしないか。
 野中広務は、公明党政教分離で虐めていたら、ころっとなびいて来たと語っている。それまでは、少しは、自民党に対して、批判勢力だった。
 1969年の夏には、白いヘルメットを被り、安保反対のデモの先頭に立つ池田大作の写真がたしかに創価学会系の新聞に載っていた。
 ところが、当時よりもはるかに勢力を弱めた自民党野中広務の迫力に屈した公明党は、自民党の働き犬になってしまった。
 自民党が、分裂などで、本当に勢力が落ちていたころ、地域活動や数で自民党を支えてのは、公明党創価学会だった。おかげで、地域を荒廃させる悪法がどんどん成立し施行されていった。
 公明党は、国潰しのための自民党の番犬と荷車の牛の役割を果たしていった。
 野中に政教分離と脅されていたのだが、気が付くと、小泉や安部をはじめ、靖國へやすやすと参っていたのは自民党の連中だった。戦死者は、国の被害者だ。しかし、多くの欲に駆られた人々に煽られた結果でもある。アジアの人は、いわば、強盗に襲われた被害者である。
 しかし、国家予算の6-7割を軍事費で占めている状態で戦争をはじめた異常な感覚の政治家、軍人は、常軌を逸した意識の持ち主だということでは責任を免れない。彼らは、被害者では無い。明らかに国賊、人民の敵である。最終的な訴追は免れたとはいえ、開戦時の東条内閣で主要な役割を果たした岸信介は、何処から考えても加害者で、国賊だ。
 少しまともな、政治家、軍人は、軍縮条約や不戦条約に命をかけていた。国民や国を崩壊から救うためである。
 野中広務は、そんなことは十分に知っている筈である。何重にも不合理で不当な軍隊のなかから生還した野中は、自分が、あまりにも、絶対に行ってはならない方向に政治が進んでいることに、主要な力を貸してしまったことを悔やんでいると思う。

二 野中はどうして、君が代、日の丸を法制化したのか。
 野中広務は、日の丸の旗のもと、君が代で、生死の境を彷徨い、かろうじて生還したのだろう。そんな旗を学校で掲げることなど、教員としては、躊躇すると思わないのか。躊躇するのが正常と思わないのか。なぜ、板挟みで悩む人が出て来るかというと、国などが強制するからである。良心と国などの強制との板挟みを、悲劇と考えた野中は、法制化すると、板挟みなど無くなると考えたと言っていた。法制化することで、良心を圧倒できると考えたのか。
 野中広務とはそんなにあほうだったのか。
 今、安倍晋三などという首相などに絶対になってはいけない粗放な頭の持ち主の亡国の徒が、「愛国」などと言っている。橋下徹という、ちんけなファシストが、教育者として全く素養のない「お友達」を校長(現教育長)に口元チェックさせる事態が起こっている。
 このような事態のもとはといえば、野中広務だ。尤も、こんな恥ずかしいことを提案して、しかもそれを誰も停められずにやってしまうようなことが起こるとは、野中広務も想像は出来なかったと思う。
 兎に角、橋下徹によって、落ち目の大阪も大阪の教育の劣化はとめどが無くなった。
 きちんと批判できない朝日や毎日(特に朝日のおもねりが悲惨)も酷い。
 しかし、原因をつくった野中広務は、しっかりと責任をとってもらわないといけない。橋本龍太郎の無責任ぶりを笑い話にして、自分の政治家としての責任をはっきりさせないのはいけない。