麻生太郎の心の奥

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 4日の国会でも、安倍晋三は、憲法は占領軍によって作られたものだ、と言っていたようである。これは、現実の事実経緯と内容をみれば、真っ赤な「嘘」であることは分かる。 それは、閣僚として同席している麻生太郎なら分かる筈だ。

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 憲法が国会で審議されているとき、安倍晋三の祖父、岸信介は、巣鴨の獄中だった。満州國の高官などを経て東条内閣の商工大臣として太平洋戦争中の物資動員のすべてを扱ったが、開戦を実質的に決めた1941年(昭和16年)11月29日の大本営政府連絡会議の共同謀議には参加していなかったことや、東條内閣が閣内不一致で総辞職することになった功績を評価され、東條ら7名のA級戦犯が処刑された翌日の1948年(昭和23年)12月24日に放免された。

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 安倍晋三の祖父岸信介巣鴨にいた1946年の国会で、首相の吉田茂(麻生の祖父)は「近年の戦争の多くは国家防衛権の名においておこなわれたることは顕著なる事実であります。故に正当防衛権を認むることが偶々戦争を誘発する所以であると思うのでありま す。...」と述べている。これは、日本も締結した1928年の不戦条約の「国際紛争解決の手段としての戦争」が侵略戦争と解され、1931年の満州事変で日本がそれを破っていたことを前提に言っているのである。
 尤も、1953年に吉田は、岸を憲法調査会会長に任じているのであるが、歴史的経緯を考えた合理的な思考からは、46年の答弁しか出てこない。

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 誤魔化しと不合理な思考の集団的自衛権とか、積極的平和主義というのは、岸信介が深く関わっていた泥沼の道へのスローガンと変わらないのである。外交官としての吉田茂は、少なくとも当時は、危機感をもっていた筈である。
 いつか、麻生は祖父のイメージを追慕したようなコスチュームで飛行機に搭乗する映像をみたことがあるが、岸の孫の安倍晋三の危ない原稿読みをどう思っているのだろうか。 そんな感覚など無いのだろうか。