『季報唯物論研究』113の特集で気付いたこと―アカデミック・ブローカー事情(3)


 『季報唯物論研究』№113の特集が「ウェーバーの超え方」などとは、あまりに軽いと思ったら、その材料の一つが、小路田泰直著者代表、折原浩・水林彪・雀部幸隆・小関素明『比較歴史社会学へのいざない マックス・ウェーバーを知の交流点として』(勁草書房2009)だった。これは、「古代日本形成の特質解明の研究教育拠点」と題する「奈良女子大学のCOE企画の一環」だそうである。


 「COE」というのは、ときどき目にするが、日本学術振興会の「21世紀COEプログラム」というHPには、次のように書いてある。

21世紀COEプログラムは、「大学の構造改革の方針」(平成13年6月)に基づき、平成14年度から文部科学省の事業(研究拠点形成費等補助金)として措置されたものです。
 我が国の大学が、世界トップレベルの大学と伍して教育及び研究活動を行っていくためには、第三者評価に基づく競争原理により競争的環境を一層醸成し、国公私を通じた大学間の競い合いがより活発に行われることが重要です。このプログラムは、我が国の大学に世界最高水準の研究教育拠点を形成し、研究水準の向上と世界をリードする創造的な人材育成を図るため、重点的な支援を行うことを通じて、国際競争力のある個性輝く大学づくりを推進することを目的としています。
 本会では、この補助金の審査及び評価に関する業務を行うため、21世紀COEプログラム委員会(独立行政法人大学評価・学位授与機構日本私立学校振興・共済事業団、財団法人大学基準協会の協力により運営)を設け、この補助金に関する審査・評価を実施しています。
※COE(center of excellence):卓越した研究拠


 「……競争原理により競争的環境を一層醸成し、……競り合いがより活発に行われることが重要です。」とある。
 これは、研究・学問とは無縁の人間の、しかも、極めて低級の作文である。仮にも、自らが研究・学問と関わりをもった人間なら、自然科学でも、「競り合い」で、業績が出せるとは思わないであろう。刺激しあうことはある。それを「競り合い」とか、「競争」とか言うのは、低俗ジャーナリズムの囃しだろう。あるいは、企業の開発「競争」のアナロジーだろう。それが、全体として、どのような結果を生み出しているか、ということの視野はあるのか。
 かかるものが、全国の大学等の研究機関にばらまかれているのは、おぞましい光景である。そればかりか、各大学、「COE」を標榜した掲示を目にするのも、これまたおぞましい。それは、とくに,国立大学特別法人化で、梯子をはずされた様子の各大学が、助成金をあてにして「競争」になだれ込んだようである。そのおぞましい光景を掲げることが、それこそ、競争のトップ争いをしているという、オカルト信者の姿にも似た「信仰」の証なのである。


 その競争のひとつが、小路田泰直を代表とする、この『比較歴史社会学へのいざない』である。どんな成果が出ているか。あらかじめ言うが、出る筈がない。小路田は、次のようなこと述べている。

この10年、歴史学は、学会型研究者のレベルにおいては確かに社会学の僕と化してきました。」(p.219)

 「そこ(折原浩のヴェーバー論・tono注)では、マックス・ヴェーバーにとっては社会学とは、歴史研究の予備学であったとの指摘があり、……」(p.219)

 誰の歴史学が、社会学の「僕」なのか。おそらく、小路田の歴史学など、社会学の僕にもなり得ていないのではないか。自負心をもって歴史学をしている人は、小路田の低劣なことばなど歯牙にもかけないだろうが、学問についての敬意を失した言い方である。これは、小路田が歴史家の名に値する仕事をしたことがないことを白状しているに過ぎない。
 だから、反対に、小路田が、まともな歴史学をしていれば、そこで当然に、社会学(にかぎらず)などによって培われて概念や論理は、必須のものになっていて、「予備学」などという言葉を愚かにも使用することはないのである。
 自分自身が何ももちえず、それぞれの分野のものを、移動させる、これは、まさにブローカーの真骨頂である。
 COEとは、かかるブローカーに活動する場を与えるものだったようである。このような学問に対する錯誤から出発しているブローカーから、何かを出せというのは無理だろう。


 ブローカーの話にのるととんでもないことになる。
 折原浩は、水林彪天皇制論にふれ、

 「俗権と教権との対抗的相補関係」という視点から見て、首肯できるばかりか、よくその含意も汲み取って活かされたものと感嘆せざるをえません。(p.126)

と述べる。水林が、とくに、日本近世社会を念頭において、天皇と幕府との関係を、聖と俗の関係で述べたりしていることであるが、この場合、天皇は血縁によるものだろう。そして、そもそも、天皇の存在は、その姻族関係によるのだろう。そのように、自らの立脚基盤を血縁や姻族関係に求めるもが、どうしたら「聖」であり、「教権」でありうるのか。どうして首肯できたり、感嘆したりするのだろうか。
 折原といえば、60年代の末、東大教養学部の真摯で誠実な教員であったという印象はおいておいても、東大教養学部の西部が友人関係で起こした人事に関して、厳しい態度で臨んだ人として有名である。当時、西部はマスコミなどを利用して愚痴を言っていたが、推薦理由に確たるものがあれば、それを言えば済むのに言えなかったのである。
 ところが、その厳しい「学問的」態度で、友人関係人事を一蹴した人が、小路田のイベントに招待されると、血縁・姻戚といったいわば「俗」の典型を「聖」「教権」だと思ってしまうのは情けない。


 水林の怪しいところは、他にも指摘はなされているようではある。「聖」と「俗」も、少し冷静にみれば、すぐに判ることではあると思われる。しかし、この度のように、ご丁寧に念押しされれば、つまり、イベントとして、デマの念押しをされれば、それを撤去するだけでも、一苦労になる。勉強する人は、一旦、そのでたらめを元にもどして、改めて考察をはじめなければならない。学問的遅滞に貢献することは、いかほどであるか。
 折原の錯誤はそれとして問題である。しかし、その錯誤をイベントして拡大したブローカーの責任は重大である。単に、一研究者個人の間違いでは済まないのである。