楽観的な寺島実郎

 4月24日TBS サンデーモーニングで、寺島実郎が、福島原発の深刻事態に関して、「こうしてみると、日本の原発技術は、つくるときにはよいが、事故がおきたときの対処などに、全く対応できないという問題を持っているということが判った……」という趣旨のことを述べていた。
 寺島は、先に、この番組に出演したとき、悲観材料ばかりのなかで、いいところもみないといけない、として、新幹線は転覆しないで停まったとか、原発も、閉じ込めや冷ますことには失敗しているけれど、止まった、とか言って、日本の技術をアピールすべきだとか言っていたことに対して、とくにチェルノブイリなどとは違うんだ、ということをきちんと言うべきだと言っていたことに対して、批判があったのだと想像する。
 しかし、「つくるときの技術力」、アメリカの注文をとったり、ベトナムで商談を成立させた技術力は、本当に大丈夫なのか。
 今から10年以上前、2000年に亡くなった高木仁三郎さんは、生前、原子力発電の技術者研究者に理学部出身者がほとんどいなくなったと言っていた。工学部出身者ばかりになっている、ということを書いていた。原子核研究が、人気のあった時期があった。未来社会のエネルギー源として期待されたからだ。日本を代表する文化であるアニメの王様は手塚治虫だが、その代表作は鉄腕「アトム」だ。
 研究にも設備にも、多額の予算がついたらしい。原子力の未来の疑問がもたれ、原子力研究の志望者が激減したらしい。その結果、原子力発電に携わる理学部出身者も、ごく少数になってしまった。
 つくる力はあるけれども、事故に対応することが出来ないというのは、寺島にしては、姑息な言い回しだ。もう基本的な力において危ういのではないか。
 2008年のノーベル物理学賞受賞者の小林・益川の両博士が、日本のテレビ記者の楽観的なインタビューに対して異口同音に、日本の物理学の危機的状況を語っていたことを思い出す。
 寺島が、東アジア地域の問題として、中国を意識して語るときは説得力がある。そのような、寺島に対しては、いじましい虫のような右翼的な民族主義者のようなところから反発があるようである。その反発は、駄目な日本の中国に対する恐怖心のようにも聞こえる。寺島が、中国との提携を訴えるとき、寺島は、日本には、まだ余力があると誤解しているのではないか。日本を買い被っているのではないか。
 寺島の至極まっとうな提案に対していびつな攻撃というか反発をしている右翼は、寺島よりも、日本の力が危機的であるということを感じているだけなのかも知れない。