大学図書館が持つ意義 ━ 関西大学図書館に見られる、関西大学の劣化


 かつて、関西大学図書館には、吉川直という名物職員がいた。哲学修士で、素養も研究の基礎もあるので、多くの人が、吉川さんを頼りにし、手ほどきも受けた。そのような、院生や、未熟なスタッフに対する手ほどきから、1978年には、『外国語人名について』とう冊子を刊行して、検索の便を図っていた。
 谷沢永一は、関西大学近代文学研究を停滞させた元凶だが、吉川の冊子が刊行されるとすぐに『関大通信』で紹介していた。さすが目端の利く男だと、これだけは感心した。「ひとたらし」ではある。
 何を言いたいのかと言うと、かつては、かかる職員がいた、それは、大学図書館が、大学図書館の機能をまがりなりにも持っていた結果であり、大学図書館としての要求に応えようとする人々がいたということである。


 先日、母校関西大学図書館へ横田健一『日本古代の精神―神々の発展と没落』(講談社現代新書、1969年)を見に行った。無かった。どうやら廃棄処分にしたらしい。書いてあるものは、他で読めないことはない。しかし、学生が、古代史に関心をもつ人が誰でも手に取れるように編まれた力作であることは、生前の著者から感じていた。その気持ちに対して、如何なる顧慮も払われてはいない。
 つまり、関西大学には、残念ながら、学術活動の拠点たる大学図書館を維持運営するだけの知的能力が失われているのではないか、と思わざるを得ない、というのは、関大生協『書評』に、「娯楽小説の楽しみ」なる、陳腐な巻頭エッセーを、何の恥ずかしげもなく、書き続けている田中登という「文学部(国文)教授」がいる。このナンセンスな男が館長を務めるような図書館である。これでは、かつての無名の吉川直の尽力とか中村幸彦の存在も虚しくなるばかりである。それでも、関西大学図書館は、内藤文庫をはじめ、多くの宝物を抱えているのは事実である。それを、田中登などは、潰して行っているのである。渡部晋太郎なる職員は、石浜純太郎を介して関大図書館に寄せられた富永仲基『楽律考』を紛失したことを、自慢げに口にしている。人々の財産を紛失して行っているのである。


 今日(12月26日)から休みで、返却は、利用開始日の1月7日とか言う。返却可能最終日が、開館日だという。返却ボックスがないのが不便だというと、派遣で図書館に来ている職員もどきが、図書館は学生さんの勉強のためのものですから、授業のある日に明けますので、持って来て下さい、と言う。
 こんな小学校の図書室みたいなことを、誰が教えているのか。田中登も言ってきたのか。市川訓敏も言ってきたのか。だったら、土・日もどうして明けているのか、毎日、夜10時まで明けているだろう。夜は授業していないだろう。
 平気で馬鹿げたことを言うのは、そのように教えている者がいるからである。
 同様のことは、他の大学図書館でも聞いたことがある。「あいにくと本学には、法学部も史学科もございませんので……」、という。これは、ある歴史資料を取り寄せることができないという断りの理屈のつもりなのである。つまり、大学図書館は、教育のためにあるので、歴史資料(それは法制史料でもあった)を取り寄せることは、図書館の趣旨から外れるというのである。
 その人物は、およそ、大学図書館などには係わってはいけない人だと察知した。また、何かを言うのは浪費だと感じた。
 歴史も法学も一般教養であるのである。まして、その史料は、その大学が関係する中学高校の教育のためにも検討しておくべきものである。
 まして、今の傾向で、仏文や独文、中文を壊して、語学系の教員を多文化なんとかというコースに投げ込んでいるのである。取り寄せるべき史料は、まさに、その多文化なんとかに適切な材料になるのだが、多文化なんとかを、でっちあげた教員自体が、語学教師のプール以上のことを考えていない。そのコースの学術活動については、全く、意欲も関心もないのである。


 12月の選挙で「亡国内閣の出現」と、柄の悪い新聞が書いていた。亡国内閣が出現するのは、それだけの理由があったようである。
 大学の程度は、図書館の端々に現れているのである。